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 朝日新聞



 生きていく あなたへ



 自分に何ができるのか。全国の人が考え続けています。メッセージを連日届けます。



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 (4月30日)



   小さないいこと 見つけて

      作家 乙武洋匡さん(35)



 昨年まで小学校の先生をしていたせいか、小中学生のみんながとても気になっています。みんなのところに比べれば東京の揺れは大きくなかったけど、僕には本当に恐ろしかった。普段は手足がなくてもいろいろな方法を使ってみんなと同じような生活をしていますが、大津波から電動車いすで逃げ切れるだろうか。停電で充電できなければどこにも行けない。改めて厳しい現実を突きつけられた気がして、落ち込みました。でも無事だったのだから何か役に立ちたいと思い直しました。

 みんなは家族、友達、家、町など大切なものをなくした。それほどの悲しみや苦しみを、僕は味わったことがありません。でも、その悲しみや苦しみの中にもきっと小さないいことはあると思う。桜が咲いたとか、大好きなカレーライスが食べられたとか。それを見つけたら喜んでみてほしいんだ。きっと前へ進む力がわいてくる。

 心の状態はひとりひとり違うから無理はしないで。できる人から少しずつでいいからね。



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 (5月1日)



   失わぬ希望 広がる未来

      バレリーナ 森下洋子さん(62)



 がれきの山に泥だらけの大漁旗を立てる光景をニュースで拝見し、胸が熱くなりました。どのようなつらい状況にあっても希望を見いだそうとする、人間の本質的な姿を見た思いがしたからです。

 私は、原爆投下から3年後の広島に生まれました。後遺症に苦しみつつも「この世は素晴らしい」「生きていられて幸せだ」と言い続け、半身のやけどの体で銭湯に連れて行ってくれた祖母。焼け野原で頭を上げ、理想と信念を持って生きた大人たちの背中から人間のすばらしさを学びました。何もなくなった所に未来を想像し、絶望の極致から進んできたのです。

 被災された方々、原発事故で困難な生活をされている方々、苦しみは計り知れないと思います。広島で今も苦しみ続けている人々を思うと、福島の人々を長い苦しみにさらさぬよう政府には一刻も早い原発への対応をお願いしたい。

 でもみなさんの希望を失わない背中を、子どもたちはきっと見ている。何十年後かの日本をもっとすばらしいものにするはずです。



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 (5月2日)



   素人も活躍できる

      被災地NGO協働センター代表 村井雅清さん(60)



 発生当初に「ボランティアの素人は現地へ行かないほうがいい」という空気があったことは残念でなりません。どんどん行ったらいいやん、初心者でもいいやん。被災者の皆さんが十人十色であるように、ボランティアだって多種多様。彼らが型にはまらない多彩な活動をすることで、いろんな被災者に寄り添えるんです。

 靴職人の私がボランティア活動の世界に入ったのは阪神大震災がきっかけでした。あのときは138万人のボランティアが集まりましたが、7割が初心者。「混乱した」という人もいますが、みんな手探りで被災者に寄り添い、おのおので解決していったんです。私もその一人で、以来、世界20ヵ国で災害ボランティアをしてきましたが、マニュアル通りに動くのではなく「何でもありや」の精神を貫ける型破りなボランティアほど一人一人を見守ることができる。

 大事なのは被災者の皆さんを「最後の一人まで救う」使命を忘れないこと。それが可能ととらえるか、不可能ととらえるか。



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 (5月3日)



   笑顔 振りまこう

      「エレキの神様」 寺内タケシさん(72)



 40年ちかく、エレキギターをもって、高校を巡礼するコンサートをしてきた。東日本大震災で被害にあった他にも、何度も行った。

 被災した、かつての高校生たち、そして現役の高校生たちよ。みんなは、おれの愛する子どもたちだ。まさに艱難辛苦を経験しているんだろうな。

 でも、もう泣くんじゃない。笑顔を振りまいて、まわりに勇気をあげようぜ。次の世代、その次の世代のために何ができるか考えようぜ。そこに、被災者にしか持てない「誇り」っていうのが生まれる気がする。かっこいいよな。

 おれは6歳のとき、東京大空襲にあった。焼け野原の東京から、故郷の茨城まで逃げた。厳しい現実を直視し、笑いながら生きてきた。そんな年寄りの戯れ言かもしれないけどな。

 6月30日に、岩手県宮古市で演奏するはずだった。会場は津波に流された。でも、おれは行く。でっかい自家発電機をもって行くから、みんなに電気で迷惑はかけない。待っててくれ。



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 (5月4日)



   家族の絆 信じてる

      シンガー・ソングライター 植村花菜さん(28)



 いろんな気持ちが自分の中に渦巻いています。小6の時、阪神大震災に遭いました。水道やガス、電気が止まり、冬空の下で何時間も給水車を待ちました。大変だったけれど、「まちは元通りになる」と信じていた。家族がいたからだと思います。

 一緒に笑ってくれる人がいる。当たり前すぎて普段は気づかないけれど、本当に大きな力を与えてくれる。その時一緒だった祖母との思い出を歌った「トイレの神様」も、多くの人が家族の絆を信じているからこそ、共感を得たのだと思います。

 今回、多くの方が家族を亡くされました。心が痛いです。でも決して一人ぼっちではありません。

 ライブの後、お客さんに募金をお願いしたら、小さな子がお小遣いを入れてくれました。一人ひとりが気持ちを寄せ合えば大きな力になる。日本中、世界中が自分の家族のように応援しています。

 だから気持ちを強く持って、私も前を向く力になるような希望の歌を届けたいと思います。



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 (5月5日)



   「想定外」に怒ってる

      元参院議員 アントニオ猪木さん(68)



 俺は怒っている。専門家と呼ばれているのに「想定外」? リングでは敵はどんな攻撃をしてくるか分からない。常に予測して対応するんだ。国民を不安にさせるようなことばかり、言うなよ。

 4ヵ所の避難所へ行った。宮城県東松島市ではがれきの中に立った。多くの遺体が眠り、人が楽しく暮らした家があったことに思いをはせた。自分がいかにちっぽけで無力か、俺はぼうぜんとした。

 避難所では何て声を掛けていいものか、迷った。だが福島県いわき市では、みんなの顔は思っていたより明るかった。「元気ですかーっ」と声が出た。空気がパッと変わった。「闘魂ビンタ」を浴びようと若い人が次々寄ってきた。「元気をもらいました」と言ってくれるのが、うれしかったな。

 「花が咲こうと咲くまいと、生きていることが花なんだ」。自殺を図ったレスラーに贈った言葉だ。人はどん底を経験すると跳ね上がるしかない。力一杯生きるしかない。俺は被災地へ行く。みんなの痛みを感じ続けたい。



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 (5月7日)



   そばにいたい

      歌手 加藤登紀子さん(67)



 私たちは本当の意味で、被災した人の気持ちと同じになることはできないのではないか、と思っています。でもそういう気持ちの段差を埋めていくことは必要で、それにはどれだけ言葉を交わし、どれだけそばにいるか、ということが大事だと思うのです。そのために、できるだけたくさん会いに行きたい。4月半ばにようやく岩手県沿岸部に入りました。

 来てみたら、みんなすごいですよ。淡々と一生懸命、お互いかばい合いながら暮らしている。堂々とゆったりして、頭が下がる感じです。生きようとすることに一生懸命になっているから元気なんですね。そのことに、私は大きな力をもらいました。こんな時は元気でいなきゃ。

 震災が起きた当初はコンサートも延期になって、毎日ただ揺れて、テレビを見ているだけ。何を頑張ればいいのかが見つからずにつらかったんです。被災した人たちそれぞれが、その答えを早く見つけられるよう、私たちができることを見つけたい。



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