2915日目→サクラが我が家にやってきて からの日数です。2575日目→スミレが我が家にやってきてからの日数です。今回からが2019年12月から、いくつかの犬連れ城めぐりをしてきましたので、それを紹介していきます。まずは正月の四国帰省の時に途中で訪れた「和歌山城」の様子を記事にします。

2019年12月30日(月)の撮影です。

今までサクラとスミレは日本百名城のうち15城を制覇してきました。

1.五稜郭 2.箕輪城 3.江戸城 4.八王子城 5.小田原城 6.武田氏館 7.甲府城 8.上田城

9.松本城 10.高遠城 11.名古屋城 12.大阪城 13.今治城 14.湯築城 15.松山城で今回の和歌山城で日本百名城16城目です。それ以外にも続日本名城やそれ以外の城を20ほどめぐっている犬連れ城めぐりであちこちでかけて一緒に楽しんでいます。今年キャンカーで色々出かけて30名城をめざしたいとおもいます。

和歌山城の歴史は、天正13年(1585)、紀州を平定した羽柴秀吉は、弟の秀長に命じて紀ノ川河口部の「岡山」(現在の虎伏山)に城を築かせたそうです。これが和歌山城の始まりであると言われています。その後、秀長は郡山城(奈良県大和郡山市)に移り、家臣の桑山重晴が和歌山城代となったそうです。

 

慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が37万6千石で紀伊に入国し、和歌山城主となったそうです。浅野氏は連立式天守を建て、現在の本丸・二の丸・西の丸に屋敷を造営したそうです。大手門を岡口門から一の橋の方面に移し、本町通りを大手筋として城下町を整備したそうです。

ここが、その岡口門から見る天守閣です。天守閣の撮影ポイントになっているそうです。

サクラとスミレが岡口門から攻め入ります。この日は、あいにくの天気で小雨が降っております。

岡口門の横あった石垣です。サクラとスミレもその石垣にタッチさせてもらいます。

重要文化財 岡口門の説明文です。岡口(おかぐち)門では、昔は向って右に御蔵、左に二重櫓があったようです。また北に接する土塀も当時のもので特に狭間(銃眼)は一枚石のくり抜きになっている珍しいものだそうです。

桝形になっている門の入り口を入ったところです。

桝形をぬけ天守閣へ攻め入ります。

スミレが雨の中、松ぼっくりをむつけたようで、蹴ってくださいの合図です。スミレ~今日は雨だから松ぼっくり蹴りはしないよ~。

チェッ!つまんないの~と言いたげなスミレです。

石の階段をあがって天守閣へ近づきます。

石の階段だけあって雨の日は滑りますね。

石の階段の横にはスロープがあります。このスロープは歩行困難な方を忍者がサポートして天守閣広場までお連れするためののものですと書かれています。

サクラとスミレは、サポートがなく手も大丈夫のようです。

なんだ坂~ こんな坂~ ちょろいちょろいと申しております。

石垣がなんとも荒々しいですね。最近 切り出されたきれいな石垣の城ばかりみてきたので、荒々しさを感じます。

途中に「七福の庭」があります。

この「七福の庭」は紀州徳川藩の藩祖である徳川頼宣が1621年(元和7年)に本丸御殿につくった庭園にあったもので、1923年(大正12年)の上水道貯水池の設置に伴い、この場所(松の丸跡)に移されたそうです。

七福神の姿に似た名石を巧みに配して宝船乗合いを模したものであります。

犬連れ城めぐり日本百名城16城目「和歌山城」だワン!その1で入口から「七福の庭」までの様子でした。次回はここから、天守閣までの様子を記事にします。サクラとスミレのブログにきてくれてありがとうございます。また遊びに来てください。