1442日目←サクラ が我が家にやってきてからの日数です。1102日目←スミレが我が家にやってきてからの日数です。12月20日(日)に出かけた千葉県の高宕山のそのあと、すぐ近くの鹿野山にでかけました。
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鹿野山と聞くと私は高校生の頃起きた「虎の脱走事件」を思い出します。あれから36年が経過しますが、それまで一度も訪れたことがなかったので、今回訪れてみることにしました。すぐ近くにはマザー牧場もあり、そこへはサクラとスミレとも訪れたことがあったのですけど、この鹿野山神野寺は来たことがなかったです。
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昭和54年の8月2日に千葉県君津市の鹿野山神野寺(かのうさん じんやじ)から飼っていた虎12頭のうち2頭が脱走したようです。正確には3頭逃げたらしいのですが、1頭は戻ったそうです。2日後に地元猟友会によって雌の虎が射殺されたようですが、残った雄の虎は27日間逃げ回り、その間に民家の飼い犬が食い殺されました。ようやく8月28日に山の頂上付近で発見され射殺され、近隣住民を恐怖におとしいれた騒動は終結したそうです。この寺の住職は干支に関する動物12種類を観光用として飼育し、見世物として観光客から200円をとっていたそうです。
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残った虎は北海道の動物園に移されたそうです。この話には余談があり、「RCサクセション」の忌野清志郎は事件当日、神野寺の近くのマザー牧場でライブコンサートをする予定でしたが、トラ騒動の為に中止しています。この時、忌野清志郎は警察に電話をして、「トラは絶対に殺すなよ!」と言ったそうです。その後、追悼コンサートも行ったようです。
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やはり私としては、犠牲になった食い殺されたワンちゃんがかわいそうでなりませんでした。当時私も実家で犬と住んでいましたので・・そのときにうちの犬が食い殺されたらとだぶらせて思ったものです。それでよく覚えているのだと思います。そんな当時の先代犬のことを思い出しながら、今のサクラとスミレと鹿野山神野寺を訪れてみました。
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境内にはしめ縄をしめた大きなイチョウの木がありました。もう黄葉は終わって楽勝していましたが、もう少し早ければ立派なイチョウの黄葉がみれたかもしれません。
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やはり、こういう長寿の木を見るとサクラとスミレには長生きをしてほしいので「長生きタッチ」をしてお願いをします。長生きの木のイチョウさん どうかサクラとスミレにも長生きのパワーをわけてあげてください。よろしくお願いします。
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長生きタッチでパワーをもらった後は、本堂へ向かいますよ。
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ペット同伴の方へという注意書きがありました。
境内内では手綱をつけてください。本堂へのペットの入室はできませんの2項目が書いてありました。ということは境内は入っていいようなのでリードをつけて入らせていただきました。
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入口には仁王像があります。
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そして仁王像を越えるとお出迎えしてくれたのが「葉牡丹」です。やはり葉牡丹はこの季節の代名詞ですね。
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よく見ると葉牡丹の中にいろいろな来年の干支のサルがいました。一番後ろの列に並んでいるのがサルの置物です。
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こんな間にもサルがいましたよ。イメージ 14
そのほか、境内のいろいろなところにプランターに植えてあちこちに置いてありました。
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そして奥の本堂へは、また階段を登ります。
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狛犬さん登場です。右側の狛犬役のサクラです。
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そしてこちらは左側の狛犬役のスミレです。
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そして本堂へ得意のご挨拶です。いつもこうして本堂への挨拶をすると偉いねと褒められますよ。これをみていた方が感心をされて褒めてくださいました。
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ここはてんぐ様の大げた スポーツの上達 足腰の御守護のようです。
サクラとスミレも来年もたくさんの山に登れるように足腰が丈夫でいらえるようにお祈りをします。
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「どうか 来年も 山にたくさん 登れますように~ ついでにご飯がいっぱい食べれますように~」
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ここにも本堂へのペット入室お断りの看板があります。
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この鹿野山神野寺は、今から1418年前、百済より仏教伝来し日本でも4番目に聖徳太子によって開かれた関東最古の名刹(古寺)だそうです。そんな歴史を感じながら、昭和54年という年を懐かしんだ私です。

昭和54年という年を振り返るとインベーダーゲームが流行ったり、口裂け女が流行になり、サルがウォークマンを聞くCMがヒットし 歌では ジュディーオングの「魅せられて」西城秀樹の「ヤングマン」さだまさしの「関白宣言」小林幸子の「おもいで酒」サザンの「いとしのエリー」久保田早紀の「異邦人」が流行った年です。野球ではちょうどあの日本シリーズでの「
江夏の21球」が話題になった年ですよ~。皆さんは何をされていましたか?生まれていない、小さかった方はパスしてください(笑)
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そしてそこから車で少し移動をして やってきたのが九十九谷公園です。
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ここは鹿野山九十九谷という場所です。
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この公園からは、高宕山など上総丘陵が幾重にも連なる山並みの風景を眼下に一望することができます。これら山谷の織り成す景観を総称して九十九谷呼ばれており、夜明け前から日の出直後と日の入り前の情景は墨絵の世界にも例えられています。紅葉の時期に見られる緑と紅のコントラストや冬季の雨上がりの早朝、霧の中に浮かび上がる幽玄な景観など、四季折々の表情を楽しむことが出来ます。 この景観は君津市の次世代に伝えたい20世紀遺産及び、千葉県の眺望百景 房総の魅力500選にも登録されています。
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これが房総の魅力500選の石碑です。これを全部回ったら周り甲斐がありそうですね。また千葉県の眺望百景というにも興味がありますね。来年 千葉県に遊びにいく時の参考にしたいとおもいます。
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下の看板を写したものです。↓ ↓
山並みは幾重もの襞を見せて、遥か遠くへ続いていた。冬枯れの山肌は、沈鬱な茶褐色の、それ自体は耐え難い色であるが、折からの夕陽に彩られて、明るい部分は淡紅色に、影は青紫色にと、明暗の微妙な諧調を織りまぜて静かに深く息づいていた。 その上には雲一つ無い夕空か、地表に近づくにつれて淡い明るさを溶かし込み、無限の広がりを見せていた。人影の無い山頂の草原に腰をおろして、刻々に変わってゆく光と影の綾を私は見ていた。
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これは東山魁夷のエッセイ集「泉に聴く」に収められている「冬の山上にて」の冒頭の文のようです。東山魁夷は昭和21年の冬、米と絵の具箱をつめたリュックサックを背負い、画板を胸に抱えて、佐貫駅から徒歩で3時間かかって鹿野山へ登ったそうですよ。その間、古い回想、両親の思い出、人生の出発点ともいうべきことなどの回想を記しているそうです。僅かですが、ところどころに佐貫町の様子が書かれていて、当時の当地域の様子を窺うことができるそうです。鹿野山をモチーフとした「残照」と題する作品は、第三回日展において特選となり、政府に買い上げられ、魁夷が世に出るきっかけとなったといわれているそうです。
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実際は鹿野山から観た、高宕山などの上総丘陵が幾重にも連なる山並みの風景で、「九十九谷」くじゅうくたにと呼ばれ、大町桂月は「天下の奇観」と激賞しています。九十九谷は昭和63年に「房総の魅力500選」に、平成19年には「ちば眺望100景」に選定されたそうです。
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サクラとスミレもそんな九十九谷の景色を眺めますよ。いつものタッチをしての後ろ姿がカワイイです。眺めた景色の中には先ほどサクラとスミレが登ってきた高宕山もよく見えますよ。
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こちらはベンチの上にお座りをしてポーズを決めます。
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そして最後はこの九十九公園の近くにある鹿野山白鳥神社に行きます。
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ここ白鳥神社は日本武尊に縁深く、その魂が白鳥となり飛来したとの伝説があります。イメージ 33
伝承によるとその昔、日本武尊の東征にあたり妃の弟橘媛が浦賀水道に入水して嵐を鎮めた。日本武尊は房総半島に渡り民を苦しめる阿久留王を征伐した。東征帰途日本武尊は亡くなり白鳥となって当地まで飛んできた。そのため民が白鳥神社を創建したといわれています。白鳥神社は鹿野山を構成する三山のひとつ白鳥峰の山頂付近に建てたそうです。
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鹿野山のはしご獅子舞は、毎年4月28日の白鳥神社の祭礼に社前の広場で奉納される。2人で演ずる1匹の獅子が、高さ約10m、25段の大きなはしごの上で舞うという、手に汗握る獅子舞だそうです。鹿野山の牝獅子が奥高野に住む牡獅子に恋焦がれ、断崖に見立てたはしごの上で舞い狂う様子を表わしているそうです。一度見てみたいものですね。
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そして本堂へ駆け上がります。
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本堂へお決まりのご挨拶です。
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そして左右に分かれて狛犬タッチ あなたたち偉いね。もしかして、ここまでしつこくやっていると・・言われなくてもやることがわかっているの?
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高宕山のあとに出かけた鹿野山神野寺と鹿野山九十九谷公園、鹿野山白鳥神社の様子でした。この日はこれで家に戻り千葉遠征第一弾を終了します。
サクラとスミレのブログにきてくれてありがとうございます。またあそびにきてください。