【人は何のために学ぶのか】


藤尾秀昭氏の心に残る言葉より…


《安岡教学の本質は人物学》


安岡先生は「物知りになれ」なんて一言もいっていません。

安岡先生のような、あれだけの本を読んだ人が、「皆さん、物知りになりなさい」 なんていっていない。

それどころか、物知りになると人間は危険だ、といっています。


物知りになって人間が悪くなる人がたくさんいる。

そんな学問はしてはいけない、といっているのです。


では、どういう学問をすればいいのでしょうか?

活学をしなさい、というんですね。

活学をして人物になりなさい、と。


だから、安岡教学の本質は人物学ですね。

人物学というのは人物になるための教えです。

それを安岡先生は説きました。



人は何のために学ぶのか、安岡正篤師は言っている。


『学は己の為(ため)にす

己を為(おさ)むるは安心立命を旨(むね)とす

志は経世済民(けいせいさいみん)に存す

志を遂(と)ぐるは学に依(よ)る

学に依って徳を成し材を達す

成徳達材を立命とす』



《成徳達材》

『徳を高め、大成させる。

これを成徳(せいとく)という。

能力を錬磨し、上達させる。これを達材(たつざい)という。』



人は自分を創るために学ぶのだ。

そして、人生のあらゆる艱難辛苦(かんなんしんく)にあっても動じないように、自分を為(おさ)めていく。

自分を創るのは利己のためではない。

世のため人のために自分を役立てるためである。


自分を役立てるには、自己の徳を大成し、自己の才能・能力を錬磨、向上させていかねばならない。

それが学の本質である。

成徳達材することによって、よりよき運命を創っていくのだ・・・安岡師の言葉は明快である。


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藤尾秀昭氏は人物についてこう語っている。


『「花は香り人は人柄」ということである。

見た目にいくら華やかで艶(つや)やかでも、造花には真に人を引きつける魅力はない。

人もまたいくら実力があっても、傲慢で鼻持ちならない人に人間的魅力はない。

まず自分を創(つく)ること。

自分という人間を立派に仕上げること。

そして、徳の香る人になること。

これこそ人生で一番大事な法則、これを遵守(じゅんしゅ)すれば人生は大丈夫という原則、すなわち人生の大則であろう。』



我々は、自分の能力を磨くことが大事だと、子供の頃から教え込まれてきた。

いい成績を取り、いい学校に行き、いい会社に入ること。

しかし、これは「能力の世界」。


本当に大事なのは、人格を磨き、徳を高め、自分を創ること。

人に喜ばれ、人から必要とされる人間になること。

どんなにいい学校に入ろうが、人格が劣り、徳がなかったら、頭でっかちの鼻持ちならない人間になる。



人間的魅力を身につけ…

徳の香る人になること。


「人は何のために学ぶのか」という言葉を胸に刻みたい。