【与えるということ】


松下幸之助氏の心に響く言葉より…


与え与えられるのが、この世の理法である。

すなわち、自分の持てるものを他に与えることによって、それにふさわしいものを他から受けるのである。

これで世の中は成り立っている。


だから、多く受けたいと思えば多く与えればよいのであって、充分に与えもしないで、多く受けたいと思うのが、虫のいい考えというもので、こんな人ばかりだと、世の中は繁栄しない。

与えるというのは、わかりやすくいえば、サービスするということである。

自分の持っているもので、世の中の人びとに精いっぱいのサービスをすることである。


頭のいい人は頭で、力のある人は力で、腕のいい人は腕で、優しい人は優しさで、そして学者は学問で、商人は 商売で............。

どんな人にでも、探し出してくれば、その人だけに与えられている尊い天分というものがある。

その天分で、世の中にサービスをすればよいのである。


サービスのいい社会は、みんなが多く与え合っている社会で、だからみんなが身も心もゆたかになる。

おたがいに繁栄の社会を生み出すために、自分の持てるもので、精いっぱいのサービスをしあいたいものである。



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人に何かを与えるというと、多くの人は「お金」だと思ってしまう。

もちろんお金も間違ってはいないが、もっと他に大事な与えるものはある。

それはたとえば、「無財の七施(しちせ)」。


仏教では、自分にお金や財産がなくても、「無財の七施(しちせ)」という「与えるもの」があるという。

それは…

一【眼施(がんせ)】「やさしいまなざしで人に接すること」

二【和顔施(わがんせ)】「にこやかな笑顔で人に接すること」

三【言辞施(ごんじせ)】「ありがとうございます、お世話になります、お疲れさまです等の、やさしい言葉で人に接すること」

四【身施(しんせ)】「お年寄りや子どもを連れた女性などがいたらドアを開けて待っている等の、自分の体を使ってできることで奉仕すること」

五【心施(しんせ)】「思いやりの心を持って、まわりに心をくばること」

六【床座施(しょうざせ)】「バスや電車でお年寄りや体の不自由な方に、席や場所を譲ること」

七【房舎施(ぼうじゃせ)】「お客を温かく迎え、癒(いや)しの場所を提供すること」



特に、七つ目の「房舎施(ぼうじゃせ)」は、現代でいうなら「サードプレイス」ということでもある。

ファーストプレイス(第一の場所)は自宅、セカンドプレイス(第二の場所)は会社、そしてサードプレイス(第三の場所)が心からほっとできる癒しの場所のことをいう。

それは、「趣味」「習い事」「スポーツ」「勉強会」「まちづくりイベント」等々を中心としたサロンやコミュニティで、「私設図書館」「シェアオフィス」「コワーキングスペース」「ゲストハウス」「ファンベースの飲食店やカフェやバー」などの「場(プレイス)」を通して開催され、人が集うとっておきの居場所となる。


「無財の七施(しちせ)」を胸に刻み…

自ら、与える人でありたい。