【楽しみを見出す工夫】

佐藤一斎の心に響く言葉より…


《人は忙しい中にも 静かにくつろぐような心を持たなくてはならないし、苦しみの中にあっても、 そこに楽しみを見出す工夫をしなければならない。》 
(佐藤一斎・儒学者 /三〇〇〇人とも言われる門性の中から、日本をリードする多くの人物が育つ) 



大きい仕事を成そうという人は、大変忙しい。

そこまでいかない凡人の私たちもやることはたくさんあって物事に追いかけられる。 

だがその中にあっても、くつろぐ時間をつくって本をじっくり読んだり、人と会って楽しく話をしたりしたいものである。


これを「忙裏(ぼうり)に間を占める」と か「忙中閑あり」と言う。

そうしないとコセコセとした奥行のない人間となり、人生自体も面白くなくなって、かえって事を成せない。 


また前に進むと辛いことがいろいろ起きるのが人生である。 

そうした苦しみの中においても、楽しいことを見出していくのが魅力ある人間である。

苦しみを乗り越えると自分が大きくなるのだとより前向きに頑張る。 

これを「苦中に楽を存する」や「苦中に楽あり」と言う。 


例えば、自然の美しさを見て感動するとか、草花を育てるとか、映画、演劇 を観るとか、親友とお酒を飲んで語り合うとか、人によってそれぞれの楽しみ方があると思う。

そういったことも、しっかり自分の人生に取り入れながら生きていきたい。

(木村進氏解説)


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《人は須(すべか)らく忙裏(ぼうり)に閑(かん)を占め、苦中(くちゅう)に楽を存する工夫を著(つ)くべし。》(言志耋録) 

佐藤一斎の上記の言葉の原文だ。



安岡正篤氏が「百朝集」と「後漢書」の中から挙げた言葉が「六中観」。

「死中有活」「苦中有楽」「忙中有閑」「壺中有天」「意中有人」「腹中有書」の六つの言葉。


「死中有活(しちゅうかつあり)」とは、絶体絶命の中にも活路はあり、死ぬ気でやれば道はひらける。

「苦中有楽(くちゅうらくあり)」とは、どんな苦しい中にも楽しみは見出せる。

「忙中有閑(ぼうちゅうかんあり)」とは、すさまじい忙しさの中、一瞬の閑、これが一番ほっとする時間。

「意中有人(いちゅうひとあり)」とは、心の中に尊敬する師を持ち、誰かに推薦できる人があること。

「腹中有書(ふくちゅうしょあり)」とは、自分の哲学や座右の銘、愛読書を持っていること。



佐藤一斎の上記の言葉は、まさに、「壺中有天(こちゅうてんあり)」のこと。

狭い壺(つぼ)の中に広々とした天(空)があるという意味で、何か事あった時には「誰にも邪魔されない心休まる自分の別世界を持つことが必要だ」。

その出典となっている物語がある。


『費長房(ひちょうぼう)は役所に勤めていた。

役所の2階から何気なく通りを眺(なが)めていたが、そこには壺を売っている店があった。

やがて店じまいの時間となると売り手の老人が周りを見回し、誰も人がいないのを見計らって店先の大きな壺の中に入っていったまましばらく出てこなかった。

不思議に思った費長房は役所が終わるとその店に行き、売り子の老人をつかまえ先ほどの状況を問い詰めた。

老人は「見られてしまったか仕方が無い、ついて来なさい」と大きな壺の中に誘った。

壺の中に入ってみるとそこには花が咲き、鳥が鳴き真っ青な青空が広がる別世界だったという。』(後漢書より)



意外や意外、こんな人が驚くような趣味や特技を持っている、一流の技ををもっている、奥ゆかしい芸を持っている、ということがある。

どんなに忙しくても、どんな境遇にあろうとも、どんなに困窮していようとも、人には自分独自の別世界が必要だ。

地位とか名誉も関係の無い世界。

ここにくればホッとする世界。

傷ついた気持ちが癒される世界。

そんな別世界を持つことができる人は幸せだ。


どんなときも、そこに…

楽しみを見出す工夫ができる人でありたい。