【人生の道草を楽しむ】



河合隼雄(はやお)氏の心に響く言葉より…


子どもの頃、「道草をしてはいけません」とよく言われたものである。

学校から家に帰るまで道草をせずに、まっすぐに帰るようにと言われる。

しかし、子どもにとって道草ほど面白いものはなかった。


落葉のきれいなのを見つけると拾って友人と比べっこをしたり、蟻の巣を見つけて、そのあたりで働く蟻の様子を見てみたり。

それに何よりも興味があったのは「近道」である。

大人の目から見ると、それは迂路であり道草にすぎないのだが、何とか「近道」を見つけて、どこかの家の裏庭にはいりこんだり、時には畠を踏みつけたと怒られて逃げまわった り、まったくスリル満点の面白さであった。 


今から考えてみると、このような道草によってこそ、子どもは通学路の味を満喫していた、と思えるのである。 

道草をせず、まっすぐに家へ帰った子は、勉強をしたり仕事をしたり、 マジメに時間をすごしたろうし、それはそれで立派なことであろうが、道の味を知ることはなかったと言うべきであろう。 


ある立派な経営者で趣味も広いし、人情味もあり、多くの人に尊敬されている人にお会いして、どうしてそのような豊かな生き方をされるようになりましたかとお訊きしたら、「結核のおかげですよ」と答えられた。

学生時代に結核になった。当時は的確な治療法がなく、ただ安静にするだけが治療の手段であった。

結核という病気は意識活動の方は全然おとろえないので、若い時に他の若者たちがスポーツや学問などにいそしんでいることを知りつつ、ただただ安静にしているだけ、というのは大変な苦痛である。

青年期の一番大切な時期を無駄にしてしまっている、という考えに苦しめられるのである。

ところが、自分が経営者となって成功してから考えると、結核による「道草」 は、無駄ではなかったのである。

無駄どころか、それはむしろ有用なものとさえ思われる。

そのときに経験したことが、今になって生きてくるのである。

人に遅れをとることの悔しさや、誰もができることをできない辛さなどを味わったことによって、弱い人の気持がよくわかるし、死について生についていろいろ考え悩んだことが意味をもってくるのである。


このような生き方の道として、目的地にいち早く着くことのみを考えている人は、その道の味を知ることがないのである。

受験戦争とやらで、大学入試が大変であり、ここでは大学合格という「目的」に向かって道草などせずにまっしぐらに進むことが要請されているようである。

しかし、実際に入学してきた学生で、入学してから頭角をあらわしてくるのを見ていると、受験勉強の間に、それなりに結構「道草」をくっていることがわかるのである。

そんなことあるものか、と思われそうだが、このあたりが人間の面白いところで、道草をくっていると、し まったと思って頑張ったりするから、全体としてあんがいつじつまの合うものなのである。


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ひろさちや氏の「人生を目的地主義にしてはいけない」という文章がある。


『フランスのノーベル賞作家のアナトール・フランスの随想録である『エピクロスの園』に、こんな話があります。 

《九年級の受け持ちのグレピネ先生が、教室で、「人と精(精霊)」という寓話をわたくしたちに 読んで聞かせられた時、わたくしはまだ十歳にもなっていなかった。 

とはいえわたくしは あの寓話を昨日聞いたよりもはっきりと思い出す。 

ある精が一人の子供に一つの糸毯(いとだま)を与えていう。 

「この糸はお前の一生の日々の糸だ。 これを取るがよい。 

時間がお前のために流れてほしいと思う時には、糸を引っぱるのだ。 

糸毯を早く繰るか永くかかって繰るかによって、お前の一生の日々は急速にも緩慢にも過ぎてゆくだろう。

糸に手を触れない限りは、お前は生涯の同じ時刻にとどまっているだろう。」 

子供はその糸を取った。 

そしてまず、大人になるために、それから愛する婚約者と結婚するために、それから子供たちが大きくなるのを見たり、職や利得や名誉を手に入れたり、心配事から早く解放されたり、悲しみや、年齢とともにやって来た病気を避けたりするために、そして最後に、かなしいかな、厄介な老年に止めを刺すために、糸を引っぱった。 

その結果は、子供は精の訪れを受けて以来、四か月と六日しか生きていなかったという≫ (大塚幸男訳、岩波文庫) 

人生を目的地主義で生きると、六十年、七十年の生涯が、たった四か月と六日になってしまいます。 

だとすると、わたしたちは、人生に目的を設定してはいけません。』(「狂い」のすすめ/集英社新書)より



多くの人は自分の人生の目的や目標を立てる。

そして、それに向かって、まっしぐらに、できるだけ効率的に、早く、無駄な道草などせずに生きようとする。

それは、親が子供によくいう「早くしなさい」という言葉にあらわれている。

早くご飯を食べ、早く学校に行って、早く会社に勤め、早く結婚して、早く会社をリタイアし、そして早く死ぬ。


目的地主義で生きるのではなく…

人生の道草を楽しめる人でありたい。