【優れた者は相手の下手に出る】

守屋洋(ひろし)氏の心に響く言葉より…


《善(よ)く人を用(もち)うる者はこれが下(しも)となる》 

〈善用人者為之下〉(老子) 


「夜郎自大(やろうじだい)」という言葉がある。

漢の時代に、中国西南の地に夜郎という国があった。

その地方では威勢がよかったけれども、しょせん、漢の強大なることを知らずに、お山の大将を気取っていたにすぎない。


そこから、仲間うちだけで大威張りすることを「夜郎自大」というようになった。

「自大」を一字にまとめると、「臭」になる。

つまり、「自大」はふんぷんたる臭気を発して、近寄ってくる相手まで遠ざけてしまうのだという。 


その点、人の使い方の上手な人は、相手の下手に出る、と『老子』はいう。

さらに指導者の条件について、こうもいっている。 

「優れた指揮官は武力を乱用しない。戦い巧者は感情に駆られて行動しない。勝つことの名人は力づくの対決に走らない」 

『老子』は、これを「不争(ふそう)の徳」と呼んでいる。


人を使う者も軍の指揮官も、力に頼るようでは一流にはなれない。

つねに謙虚であれ、と戒めているのだ。 

念のためにいえば、『老子』の謙虚さとは、消極的な生き方がいいといっているのではない。

謙虚であることの現実的効用をちゃんと計算しているのである。


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「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」という言葉がある。

小さな井戸に住んでいるカエルは大海を知らない、ということ。

「夜郎自大」には、「井の中の蛙」に加えて、偉そうで滑稽(こっけい)、という感じがある。


サッカーの一流プロを前にして、素人が自分のサッカーの知識や理論を滔々(とうとう)としゃべってしまうようなものだ。

カエルが大海を知るには、外へ飛び出るしかない。

多くの知識を身につけ、その上、知ったことを試してみるという行動がなければ、新しい世界を知ることはできない。


老子はこれみよがしのパフォーマンスをとことん嫌う。

実力もないのに、自ら人前に出て、チャラチャラと宣伝するようなことだ。

下手に出るとは、へりくだった謙虚な態度でいる、ということ。


誰に対しても、威張らず…

下手に出ることができる人でありたい。