【肯定的に見ると、物ごとは好転する】


小林正観さんの心に響く言葉より…



私たちの精神レベルは、六つあるとしましょう。 

社会や人に敵意をもち、「呪(のろ)う」「恨(うら)む」「憎む」「妬(ねた)む」「そねむ」という心の状態から、感謝され、喜ばれる存在となる心の状態までを、次のように並べてみます。


1.感謝される、喜ばれる。 

2.感謝する、感謝できる。 

3.現象を肯定的に評価できる。教訓や栄養と考える。

4.現象を否定的に非難する。不平不満、文句、泣き言、愚痴を言う。 

5.腹を立てる。イライラする。怒る。 

6.呪う、憎む、恨む、妬む、そねむなど、社会的敵意をもつ。 



これらをよく見ると、3と4を境にして大きく変化しています。 

3と4の違いは、目の前の現象を「肯定的に見るか」「否定的に見るか」の違いだけです。 

この違いによって、2や1になったり、5や6になったりするのです。

1と6では大きな違いがありますが、 その出発点を見ると、ほんの小さな心のもち方の違いでしかありません。 


社会に敵意をもっている人は、社会(宇宙)を敵に回してしまいます。 

社会(宇宙)が、自分と同質のものであり、同じ分子・原子で成り立っていること、 目の前に起きている現実が宇宙の一部であること、悲劇や不幸があるわけではなく、すべての現象は中立であること・・・などがわかると、社会も人も恨まなくなります。

敵意をもち続けている間は、社会は自分の思うようには展開しません。 



ある力士は、非常に敵意に満ちた相撲を取ります。

すでに土俵を割って力を抜いた相手を、さらに土俵下に突き落とすのです。

見ていて気持ちのいいものではありません。 

気迫があるという言葉でも説明がつきません。

もっと気迫に富む力士でも、すでに勝敗の決まった相手を突き落としたりはしないからです。 

この力士は発言にも随所に敵意が感じられ、結果的にはそれ以上の番付には上がりませんでした。 



同じことが、男女関係でも言えます。 

自分はとても相手を思っているのに、相手はそれにこたえてくれない、愛情を返してくれないといら立っている人がいます。

そうやって相手を恨み、呪っている間は、事態は悪くなる一方で、何ひとついい方向には行きません。 

ところが、「その人が幸せになってくれるなら、自分はどうでもいい」「その人がほかの人を好きなら、その恋愛や結婚を心から祝ってあげよう」と思えたらどうでしょう。

自分中心、自分が大事という「愛欲」から、相手中心、相手が大事という「愛情」に移行できると、奇跡が起きます。

例えば離れようとしていた相手が、急にこちらを向き、近寄ってきたりします。 



敵意の対極にあるのは、愛情です。

愛情とは、「その人に何をしてあげられるか」「その人がどうしたら幸せになれるか」をいつも考えているエネルギーであり、念の力です。

自分がいちばん大事でかわいいという愛欲とは、根本的に違います。 


社会や人に敵意や憎悪を感じている間は、周囲は決して自分の思うようには展開していきません。 

敵意を愛情に変えるために必要なことは「肯定的に見る」こと。

それができれば、物ごとは好転していくのです。


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誰かと話しをしていて、気分がいい人、楽しい人は、どんなことも「肯定的にとらえる人」だ。

反対に、気分が悪くなる人、楽しくない人は、どんなことも「否定から入る人」だ。


肯定的にとらえる人は、「なるほど」「そうだね」から会話が始まる。

否定的にとらえる人は、「でも」「だって」から会話が始まる。


小林正観さんは、否定的な言葉には「刺(さ)し言葉」があるという。

それは、「揶揄(やゆ)」「嫌味」「皮肉」という、人の心をチクチク刺す言葉。


そして、肯定的に見る人には、「笑顔」がある。

明るくて、機嫌がいい。


否定的に見る人は、いつも「不機嫌」だ。

暗くて、あたたかさがない。


どんなときも…

肯定的に物ごとを見る人でありたい。