6/16に放送された

NHKBS『倉本聰 富良野にてー創ー』

 

 

「北海道の人間っていうのは

 こういう人がいるんだよ」って

倉本聰さんが紹介したかった人。

 

標津在住の羆猟師、久保俊治さん。

 

お話を聞いているうちに、

どういう方なんだろう?と思い、検索をかけたら

今年4月にお亡くなりになっていました。

 

著書に『羆撃ち』があると知り

すぐに図書館に行って、借りてきました。

 

 

読み始めると同時に、久保さんの世界に

ぐいぐい引きずり込まれ

気づけば、ほぼ一気に読んでしまうところでしたが

 

第八章 永遠の別れ

に入る前に、ページをめくる指が止まってしまいました。

 

 

そこから一晩寝かせ、半日寝かせ

 

涙で文字がぼやけ、胸が苦しくなりながら

読み終えました。

 

 

私の稚拙な表現力では、どうブログに書いていいのか

わからないので

 

久保さんご本人の「文庫版あとがき」に記されていた

”私が一番嬉しかった手紙”を引用したいと思います。

 

〈知床の山々を、フチとともに獲物を求めて駆けめぐった。

 それは若さに輝く「青春」そのものであり、

 その輝きは自分には眩しすぎるほどでした。

 文字からも色鮮やかに織りなされる自然の彩り。

 そして厳しいが絶対的に正しい自然の真理。

 それら全てと、たまさか山で嗅ぐあの懐かしい匂いまで

 克明に読者に伝え通した、筆者の繊細な言葉使い。

 自然の中に身をおくことの尊さ、そして厳しさ。

 その一ページ一ページを繰るごとに起こる出来事は

 あたかも自分が体験したことの様な錯覚すら覚えます。

 自然と自分。獲物と自分。常に全力を尽くさねばならない一対一の関係。

 自然の中に身を置き生きた筆者に、誰もが心を打たれ、感動する。

 しかし、それ以上に孤独という名の自由に強烈な憧れを抱いてしまった。〉

 

 

平山洋子氏の解説より

 単身山に入って独力で仕留めた羆の描写は、

 一冊を通じてたびたび描かれる羆との格闘を読むさいにも

 幻影のように何度も見え隠れするほど強烈だ。

 極度の緊張、興奮、ようやく訪れる安堵、満足感、

 さまざまな感情の山や谷に触れながら、

 読む者も狩猟という行為の実際を自分の身体に叩き込む。

 

 

久保俊治氏

 1947年、北海道小樽に生まれる。

 日曜ハンターだった父親から山歩きや狩猟のおもしろさを伝授され

 二十歳のとき申請手にした狩猟免許証と父から譲り受けた一丁の

 古い村田銃が成人の証となった。

 

 

 

久保俊治さん

今頃は、フチと一緒に広大な山の中を

ライフル片手に駆けずりまわっていらっしゃるかな。

 

 

番組の中で、小山薫堂さんに

「理想の死に方」について

「例えば、熊と戦って死ぬのがいいとか…」って聞かれると

 

「戦って死ぬよりも

 戦うべく一所懸命歩いてても、体力が続かなくて

 どっかでもって、寝たまんま鉄砲をこうやって

 骨と上着だけがあって鉄砲がこうあって

 『あ、あっただ』って言われるくらいがちょうどいいかなって」

 

 

その時に、倉本聰さんが

「もう年じゃない

 だからもうじきでしょ?」

 

「一番最近考えるのは、

 自分の肉を狐とかなんとかが食って

 骨も白骨になって、土壌菌とかミミズとかが少しずつ食って

 全部なくなくったときが

 死ってもんじゃないかっていう気がする

 そうすれば自然に還ったっていうことで

 それが理想的な死に方じゃないかなって俺は思ってんだけどさ」って。

 

この番組の初回放送が、今年の3月。

「もうじきでしょ?」って言ったことが本当になってしまって。

 

このような死生観の話をされて

逝ってしまわれたんだな…。

 

 

『羆撃ち』

すぐにでも再読したいと思うけれど

一旦、図書館にお返しします。

 

購入してしまうかも。