『アラスカ 光と風』を読んでから

 

私が持っていなかった本

『Araska風のような物語』を図書館で借りてきました。

(1991/7/1発行)

 

 

大型本なので、写真に迫力があり

カリブーやムース、グリズリー

アラスカに住む動物たちが、

生き生きと映し出されています。

 

そんな写真たちと、星野さんの文章が相まって

ひととき、星野さんと一緒に旅に出たかのように

感じ入ってしまいました。

 

 

私が好きな「カメラを盗んだオオカミ」の話は

好奇心旺盛で、遊び好きのオオカミが、

微笑ましくて不思議。


6月、それは不思議な白夜の日だった。

気がつくとオオカミが目の前にいた。
じっと僕を見つめている。
容易に姿を表さず、野生の深遠にひそむこの生き物が
わずか、5、6メートル先に立っている。

信じられないまま写真を撮り始める。
フィルムを詰め替えている間、1台のカメラを地面に置いた。
その時、オオカミはスーッと前に出たかと思うと
カメラのストラップをくわえ、そのまま持って行ってしまったのだ。
逃げていくわけでもない。トコトコ去っていくだけである。
僕はしばらく呆然と、カメラを運んでゆくオオカミを眺めていた


今年買ったばかりの新品のカメラ。
僕は突然走り出した。取り戻さなければ。
一体僕のカメラをどうしようというのだ。
すると、なんとオオカミも走り出したではないか。
追いかけながら、バカバカしいやら情けないやら、
だんだん疲れてくるし、一体いつまで走らなければならないんだ。


雪の上に落とされたカメラを見つける。
ざらめ雪を払い、そっと手にしてみる。
壊れてしまったかな。
とにかく取り戻したことでホッとしていた。


そのカメラを今でも使っている。
時々、あの夜の出来事を思い出す。
オオカミがなぜあんな行動をしたのか今でもわからない。
ただ、僕のカメラの中で、その一台は小さな物語を持ってしまった。
いつか自分が年老いた時、このカメラを手にしながら
子どもたちにこんな話ができるかもしれない。
「昔々アラスカでね、ある夜、不思議なことが起きたんだ…
 オオカミの話なんだがね…」

 

 

 

 

そんな微笑ましい話から

アラスカが置かれている現実。

 

アラスカ原住民が抱えているアルコール中毒の問題は根深い。
異常に高い自殺率、暴力、家庭崩壊…
多かれ少なかれ、そのすべてにアルコールが関与している。
それは伝統的な暮らしと、波のように押し寄せてくる西欧文化との狭間で
揺れ動き、アイデンティティを失い自信喪失してゆく彼らの
どうしていいかわからないはけ口のような気がしてならない。

 

さらに、石油を軸としたアメリカ経済の中でのアラスカ
それに伴う巨大な資源開発、原住民土地訴訟請求…

 

1890年代のゴールドラッシュから久しく忘れ去られていたこの土地は
油田開発の中で、再び発見される時代に入った。

 

 

「アラスカはいつも、発見され、そして忘れ去られる」

とは、アラスカの諺だそう。

 

 

少し前に、テレビで観たシシュマレフは、

温暖化の影響で、永久凍土が溶け

村ごと沈みかけている様子が映っていました。

 

 

 

 

 

そして

星野道夫さんが、ジャズが好きだったってこと

初めて知りました。

 

1977年の冬、僕はシアトルにいた
新聞の音楽欄で、小さく
デクスター・ゴードン
の名前を見つける。
テナーサックス奏者
ジャズが好きな僕にとって、デクスター・ゴードンは神様のような人。
わざわざアラスカへ発つ日を延ばした。

 

力強いテナーの出だしで始まった。
それは彼のイメージを吹き飛ばす、目の覚めるような演奏だった。
僕はじっと座っていることができず
空いているのをいいことにして、あちこち飛び回って聞いていた。
明日アラスカへ発つという気持ちの高揚もあったろうが
これほど胸をえぐられるジャズを聞いたことが無い。
抒情など入り込む隙のない力強いリズムなのに、目頭が熱くなって仕方がなかった。

 

 

映画「ラウンド・ミッドナイト」の話。

 

朽ち果ててゆく、年老いたジャズマンの一生を描いた映画だった。
驚いたことに、あのデクスター・ゴードン自身が、主演している。
重くしわがれた声…
僕はたまらない懐かしさをもってスクリーンを見つめていた。
素晴らしく渋い演技は、おそらく地でやっているのではないかと思わせた。

この映画を観るたびに、アラスカへ行くことだけを考えていた頃の自分を思い出す
誰もが、昔の自分自身に出会う歌を持っている。

 

 

 

 

 

僕たちが生きてゆくための環境には、
人間をとりまく生物の多様性が大切なのだろう。
オオカミの徘徊する世界がどこかに存在すると意識できること…
それは想像力という見えない豊かさをもたらし、僕たちが誰なのか、
今どこにいるのかを教え続けてくれるような気がするのだ。

 

 

 

 

もし星野道夫さんが生きていれば、71歳。

アラスカの物語を、旅の続きを

どんな風に語ってくれたのだろう。