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たまたま
YouTube動画をみていて
面白そうと思ってみていた。
やっぱり、そこか~
と、思った。
伊木ヒロシさん
https://youtu.be/NPSV6H7RFGw
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この方の動画をみているのには
私なりのわけがあって、
無意識なのかもしれないが
動画が終わる時の挨拶が
「いってらっしゃい」
なのだ。
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母には、できないところも
できるところもあって
不完全であり完全な存在として
未熟であることを
まるごと受け止めようと練習中
母は、私が仕事に出かけるときに
「いってらっしゃい」
の声掛けが出来ない人。
昔は声をかけてくれたかもしれないが
今は、もうしない
と、決めているのかもしれない。
そこは、私の母という他者が決めたこと
なので、私がどうこう思っても
仕方ない。
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そのかわりといっては
なんだけど、
この方の気持ちがこもった
「いってらっしゃい」
は、なんかうれしい。
ありがとう行ってくるね
と、思えてしまう。
単純なことだけど
癒される。
親であっても
未熟だし、期待しても
そこは、私がどうこうできない
領域だ。
だからこそ、
自分ができる工夫、
自分がご機嫌でいられる
工夫みたいなものが
必要なのかな
それだけで
私が私のご機嫌を
とれるなら、しあわせだ💕
うぷぷしあわせ
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