一番最初の子どもは
親の足りないところをもって
うまれてくるそうだ。



はじめて伺った話。


 

私が
出来ないところ
足りないところ


みんなと一緒でなくても
自分のやり方を貫けること。



子どもから

こういう生き方も
人はできるんだ

と、教えてもらっているのかも!?照れ!?
 


 

最近、何かでちらっと
みたのは、
ナースが最期をむかえる
人たちの言ってた言葉を

あつめたもので、



宝石緑 もっと自分が思うままに
生きればよかった

宝石緑 仕事ばかりしなくてよかった

とかだったと思う。

 

自分をあとまわしにして

良かれと思って自己犠牲するより、

 

どんな自分でも

自分を満足させる

生き方をしたかった!!

 

というような内容だったと思う。

 



 

子どもも、

きっと、キラキラの未来を
つくっている途中。

あくまでも通過点なんだ。

通過点の最中、
自分と向き合って
みんなと一緒でないことに
不安や恐れと向き合って

地団駄をふんで
今の自分を受け入れていく。

 

 

そしてそれをもって

これからいろんなことに

チャレンジしていく。

そんなことが
できるんだろうな。

 

今の子どもがどうであろうとも

その子どもの向こう側の

未来を想像できる。

 

そんなことを思えるようになった。



 

だからこそ、
親は衣食住をととのえる
ことくらいしかできない。

先回りして
子どもの不安や恐れを
なんとか取りのぞいて
やろうなんて
思わなくていい。



それは結局
私が安心したいだけだから。


 

親の助言なんて

子どもにとって

必要ないかもしれないけど

助言って、こうしたらこうなるよ。

のみに、とどめていること。



一方、コントロールは
こうしたらこうなるよ、の

助言にたいしての結果について

イラついて文句を言ってしまうこと。

結果に対しての
責任を子どもに
とらせないことが
コントロール。



 

失敗も成功も子どもに
堪能させてあげよう。



そして、私は子どもを
見守って
何か言ってきたら
言葉をかえそう。



 

子どもって
結局、おかあさんに
聴いてほしいんだよね。



おかあさんが
子どもに、助言だけ
聴いてほしいなんて
甘えてるもいいとこだな。

おかあさんって
しっかりしなくても
いいから、
適当でもいいから

おかあさんは
子どもの話を聴いて
あげられるような
おかあさんで
あればいい。

そんなことだけど
きっと
本当に大事なこと。

 

 


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