昨日は、母とまたしても
バトルがあり、イライラマックスだった
「いつでも出てってやる」
(※どれだけ思春期おばちゃんだっ)
ただ、子どもの進路が決まるまでは
仕方ないと思っているので
子どもの進路が決まったら
「こんな家、出ていくーーーー」
と、母にさんざん言いまくっていた。
(※どれだけ思春期こじらせてる)
そして、最近子どもが
ゲームPCが欲しい、と言うので
否定せずに聴いていた。
否定しないことで
子どもの表情が和らいでいるのって、
シンプルに私はうれしい。
その時に聴いてみた。
「この家を出る時に、
ゲームPCも、持っていくの?」
と。
そしたら、
「家を出て行かない。」
と。
次の進路に際して
「自宅から通う。」
と。
えーーーーーーっ!!
お母さんは、
「おばあちゃんの不平・不満を聴くのが
いやだし、あれをずーーーっと
聴いてたらノイローゼになるよ。
だからあんたもお母さんもそれぞれ別に暮らして
家を出た方がいいと思っている。」
と、言った。
子どもは、
「おばあちゃんのことなんか、
気にしなければいい」
と。
私が、
「えっ?気にならないの?」
と言うと、
子どもは、
「おばあちゃんの言葉なんて
聴いてない!!
むしろごはんを食べるときは
iPadに全集中してるから
聴こえてこないよ!
おかあさんも、iPad買いなよ!」
えっ?
私が、
「自宅から通うの?
自立した方がいいと思うよ。」
と声をかけると、
子どもが、
「自宅からにする。
自分でいろいろやるのが
やっぱり面倒くさい」
えっ?
そういえば最近、私が
アレコレ言わずに
家庭をあたたかくしようと
しているからかな
これって
いいこと
わるいこと
よく分からないけど
子どもの自立を妨げてる
もしかしたら
依存させてしまっているのかな
それでも、今は少しずつ元気に
なってきているので、
当分はこのガミガミの否定的な家庭を
居心地の良い場所に変えようという
努力はしていくつもり。
私は、ずーっと、ずーっと、
家族3人で仲良く暮らして
いくのが理想だった。
結局、それは叶わぬ願いと、あきらめた。
そして子どものことも、あきらめた。
「あきらめた」というのは、
私の理想や願いをおしつけることを
あきらめた、という意味。
子どもが家にいるっていうことは
まだまだ私の魂の修行はつづくってこと
なんだかなーーーー
何となくだけど
もしかしたら子どもにとっての、
安心・安全な場所に、この家庭が
なりつつあるっていうことは、
母にとっても私にとっても
安心・安全であったかい場所に
なるってことなのかな
今日は、母と一緒におやつを食べて
酒粕から甘酒をつくって一緒に飲んだ。
母は昨晩、胸が苦しかったそうで
今日はラクになった、と言ってた。
気持ちがラクになると
体もきっとラクになるんだろうな。
きっちきっちのゴムが
ゆるんだ感じなのかな
今は、母に対しての思いやりと
「ありがとう」の言葉の威力で、
「家族再生」を
目指してみるのもいいのかな
自分の家族の在り方を
私が「正解」にしていく未来を描くことも
ありなのかもしれないな。
うぷぷしあわせ
sakuraのmy Pick