辛い時は「学びだ」と言うのは真実なのか | 心神(たましい)の法則

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辛いことがあると

「学びだ」とか言うのがあるよな。

 

ずーっと違和感がある言葉だった。

 

 

 

病気になっても「学び」

怪我をしても「学び」

大事な人を亡くしても「学び」

 

 

なんでも「学び」で済ますんじゃねー!

と心の中で思っているのは私だけではないはず

(きっと多分みんなそうであれ!)

 

 

 

学びって言われても辛いものは辛いんですよ。

嫌なものは嫌なの。

 

それを「学ぶもんだ」と言っていいのは本人だけよ?

それもちゃんとご自身でその辛さとかをさ

消化する一つの手段として言う分にはものすごく有効だと思うしその通りになると思う。

 

でも、その辛さもキツさもわからない

関係のない人が

「それって学びですよね」

「学びだから笑顔でね」

「乗り越えられないものは来ないんだから、学んでね」

とかさ

 

人の気持ちに寄り添うって言う優しさを

どこに置いてきたんだろうなと思うわけ。

 

 

そう言う人に限って

スピ系だからね。本当勘弁してほしい。わけ。わけ。

 

 

辛い時は泣くの。

なんで私ばっかりこんな目に!って黒い感情をちゃんと出すの。

(人に出すかどうかはご自身の判断で)

 

学びだなんて綺麗な言葉で辛さを誤魔化さない方がいい。

絶対その方がいい。

 

そしてぐっちゃぐちゃになって

ちょっとだけ冷静になれた時に

 

「ああ心神(たましい)に報告しとこう」って

自分の思いを全部丸投げして

 

「あとはあなたの思う様にしてください」

「受け入れられないものなら、受け入れる様にしてください」

「痛いのは嫌なのであなたが痛がってください」

ってやっちゃってください。

(詳しくは本に書いてます)

 

そーすると「今」を生きられる様になってます。

自動的になってるから。

 

だから「学び」だなんて思わなくていい。

そんなこと言われんでも

辛いことや苦しいことは

ちゃーんと「身になって」いくようにできてますから。

 

身にならないとしたら

「学び」とかの言葉で誤魔化してしまうからかもしれん。

 

本当みんな

もうそろそろ目を覚そう。

誤魔化されない自分になっていいんだから。うん。

 

facebookより