こんちわ。
今回は目覚めるべき「第三の目」について
違う違うそうじゃない、を書いてみようと思います。
今後も大活躍の予感。。。w
15年ほど前の話ですけどね
私は目覚めたかったんです。
目覚めれば、悟れば幸せになれると言われた時代のこと。
(今もか?今のなのか?)
自分が何者なのかを知らないまま
ただひたすら「目覚めれば!」と頑張ってました。
(ヒソヒソ話)
本の中でもちょっと書いてますが
第三の目を開けることでサイキック能力が開花し、体外離脱ができるようになるというセミナーに、何十万も使ったのは、この私です(ハハハ)
話を戻して!
心神の法則でお伝えしてる「第三の目」というのは、サイキック能力ではありません。
体外離脱もできないし、エスパーのように人の心がわかるようになったり、誰かをすごい波動を出してヒーリングしたりすることもできません。
もしできたとしたら、それはおまけのようなものだと思ってください。
第三の目というのはね
人としての範囲を超えた超能力のことではなく、痛みの記憶に振り回され、幸せを求めて苦しんでいる「わたし」を見つけ、そして見つめる目のことです。
苦しんでいる「わたし」というのは、過去の記憶のこと。
その痛みの記憶であるわたしと、永遠の安らぎである「心神」を結びつけるという役割が、第三の目の本来の姿です。
この第三の目が活動するようにならないと、苦しみしか感じられない(つまり心神の存在がわからない)というように、仕組まれています。
そのように仕組まれてるのんだって。
(大事なことなので2回いう)
つまり、仕組まれちゃってるわけだから
第三の目の存在を明らかにして活動しない限りは
目覚めないようになってる、っていうことじゃん?
ふ、ふざけんなぁぁぁぁぁ!!!
(と、叫んだのは内緒)
心神(たましい)と、痛みの記憶と、そして第三の目をもつ自分。
この3つの存在が揃って、私たちは生きているのです。
この仕組みを信じることは難しいかもしれないけれど、信じなくても大丈夫です。
ただ、もし、そうだとしたら・・・とちょっとだけでも考えてみるきっかけになれば、次に進める準備が完了するんじゃないかと、わたしは思っています。
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