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どーさんですニコニコ

中学3年間不登校▷通信制高校入学、卒業

現在は通信制大学に通っています。





今日のテーマは

不登校のきっかけについて、です。







不登校になるきっかけって

たくさんあると思います。






この時期によくあること、みたいに

パターン?前例?はあっても

全部違うきっかけだと思います。







そんな中で、

私の不登校になったきっかけは何か

もう1回考えてみたいと思います。









私が学校に行けなくなったきっかけは

体調不良による欠席が長引いて

学校というハードルが高くなったから。







というのが、私のきっかけで

昔から変わっていません。








じゃあ、その体調不良って

いつから始まったんだろう。

何が原因だったのかな。







ということまで、考えたことが

今までであまりなくて







これを書いている今も

正直分からないことの方が多いですが








今だからこそ、ほんの少し分かることも

あったりします。








私が不登校になったのは

中学1年生の6月くらいで






やっと学校生活や部活動に慣れてきた

そんな時期でした。







当時の私は、クラスに仲の良い友達がいなくて

自分から友達を作りに行くタイプでもなく







入学して2ヶ月が経っても

友達、と呼べる人はクラスにいませんでした。







それでも、自分のクラスに友達はいなくても

小学校の頃からの友達は他のクラスにいるし








学校生活や部活動も特に不安はなく

楽しく過ごしていました。








でも、今考えたらものすごく緊張して

学校にいる時間はずっと糸を張っていて







自分間違ってない?みんなどうするのかな?

先輩、先生に失礼な態度取ってないかな?

とにかく頭の中がハテナでいっぱいでした。








慣れないこと、分からないことに

着いていくので精一杯で、

自分のことに一切目が向けられていなくて






とにかく他の人に目を向けて

周りに合わせることに必死でした。








そんな生活を送っていて

きっと心、精神に限界が来てしまい

それが体にsosとなって現れました。







吐き気や頭痛が止まらなくて

手足が痺れた感覚がしてきて

うまく息が吸えなくなってきたり








いつもの自分ではない

明らかにおかしい自分になっていました。







それでも当時の私は

心の病気とか精神が、とか

まっったく知らないので







ただの体調不良だと思って

ちょっと休めば学校に行ける、

と思っていました。







でも、全てが治って

万全な体調になっても、








学校のことを考えるだけで

また頭痛に吐き気、痺れに襲われて

体が動かなくなっていました。








自然と涙も溢れてきて

頭の中がぐちゃぐちゃで

何も考えられませんでした。







学校を休み始めてから、

しばらくの間は記憶が曖昧で







どうやって過ごしていたのか

学校とのやり取りはどうだったのか

覚えていません。







小学生、中学生の時は

心のsosという言葉の意味が分からなくて。







でも、意味を知らなくても

勝手にsosの警告音は流れて、

体はやられちゃうんだよな、って思います。







今だから、

あの時の自分狂ってたよな…と

半分笑い話のように出来ますが







当時は本当に全てが分かりませんでした。








「五月病」という言葉を

色んなところで目にするようになり、

休むことが大事とよく書かれています。







休むことが大事と言われていても

どこまでいったら休んでいいの?

休むってなに?ってなる人も







きっといると思います。

ちなみに私はその1人でした笑








休む基準とか五月病の目安を

私は言えませんが







え?そんなことで?あの時平気だったじゃん。

なんて思っていたことが、

少しずつ積み重なっていくと








人は簡単に、そして

あっという間に崩れていく。








きっかけはチリツモになるんだ、ということは

私の経験から言えることかなと思います。








私の不登校になったきっかけについて

改めて考えてみました。

ずいぶんと長々と書いてしまいました笑






終わりです☺︎







最後まで読んでくださり

ありがとうございましたお願い