関西TV「アンカー」のHP内に青山さんの動画があります(HP下の方)。
3本目が「青山繁晴“硫黄島は生きるヒント”を語る」ですが、お時間がある方は、是非! 全編見てください!
http://www.ktv.co.jp/ktv/literacy/anchor.html
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
青山繁晴さんブログ、硫黄島関連エントリー
ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ
魂の硫黄島へ(深く淡く生きる その番外編)(2006年12月07日 01時28分31秒)
硫黄島守備隊ご遺族の、しゅういちさんへ(2006年12月14日 03時16分49秒)
*☆*:;;;:*☆*:;;;:
来てください(2008年03月20日 03時27分58秒)
▼あまりに直前になってしまいましたが、今度の日曜、23日の午後1時から長野県松代町の「明徳寺」で開かれる栗林忠道・帝国陸軍大将の63年回忌法要に、ぼくも参列し、つたない講演も行います。
硫黄島の戦いで、敵だったアメリカからいまだに名将と敬愛され、祖国日本からは忘れ去られていた、あの栗林将軍です。
クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」で、渡辺謙さんが演じ、ジェネラル栗林は、ようやく日本国民にも知られました。
しかし故郷の松代町では、若者をたくさん死なせた戦争犯罪人のように誤解して、その名を記憶していた人もいたようです。
いわば名誉回復の法要でもあると、ぼくは考え、参加させていただくことにしました。
ぼくが2006年の12月に硫黄島を訪れ、島内をぼくなりに懸命にみて歩いたこと、そのあとはいかなる講演会でも、硫黄島で後世の日本の輝きのためにこそ死んでいった将兵の生きっぷりを話していること、それらをご存じのかたも、このブログを訪ねてくださるなかには、いらっしゃると思います。
交通費はかかりますが、講演などはもちろん無料です。
誰でもおいでになれます。
ぼくのためにじゃなく、栗林将軍のご遺族のため、また硫黄島に命を埋めたすべての、わたしたちの先達(せんだち)のために、どうかおいでください。
写真は、その法要と講演会のちらしです。
▼ぼくは、きょう間もなく、江田島の海上自衛隊・幹部候補生学校の卒業式に列席し、海上自衛隊機で、ほかの列席者とともに夜には東京に帰り、翌日の金曜夜には再び、大阪入りして、土曜日の午前に関西テレビの「ぶったま」の生放送に参加し、そのまま東京にとって返して、TVタックルの収録(放送は3月末)に臨み、翌日の日曜朝に長野県松代町に向かいます。
ぶったまやタックルに関心があるひとは、どうぞ番組をみてください。
そして、できれば、松代町でお会いしましょう。
一人でも多くのかたと、松代町でお会いしたいです。
このブログを読んで、長野県松代町の法要と講演会に来られたかたは、ぜひに、ぼくに声をかけてください。
固い握手を交わしたいと思います。
サインなどを、僭越ながらもしもお望みでしたら、すべてのかたのご要望にお応えします。
青山繁晴 拝 3月20日春分の日 未明3時40分
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断腸の記「あぁ新刊」の巻(2008年06月04日 13時44分08秒)
▼6月2日は、亡き父の命日だった。
日々の朝(あした)に、硫黄島の英霊のかたがたへ、一杯の冷やした水に、いくつかの氷を浮かべて捧げる。
器は、ちいさな模様の入ったガラスのコップだ。どこのうちの台所にもあるような、それを選んだ。
英霊のほとんどは、ふつうの庶民だったから、そのようなコップを懐かしまれるのではないかと考えた。
それとあわせて、沖縄の白梅(しらうめ)学徒看護隊の女生徒と先生へ、水を捧げる。
器は、すこし沈んだ青色の陶器を選んだ。
そして、亡き父と、ぼくの就職のめどが立っていなかったころ実家の庭で松の木の上に浮かんだ守護霊と思われる長身で髪の長い女性(結婚で増田姓となった春子さんという明治時代のご先祖らしい…)と、それから五百年ほど続いてきたという青山家のすべてのご先祖へと、水を捧げる。
器は、ほんらいはお正月の屠蘇(とそ)に使うような、塗りのおちょこだ。
これらの水はいずれも、硫黄島の英霊への水と違って、かすかにぬるい温度の水にしている。
父は、冷たい水が苦手だったような記憶がある。
ほかのかたも、硫黄の噴き出る熱い島で苦しみに抜いた英霊とはまた違い、冷水よりも、あたたかみのある水がよいような気がするからだ。
しかし、夏の季節に入っていくと、常温の範囲内で冷水に変えていく。
このごろの暑い夏となれば、女生徒も先生も、父とご先祖さまも、ぬるい水ではいやだろうから。
いくつかの水を捧げ、それから、この国を私心なく支えているかたがたのために祈り、最後に、ぼくの残りの命を天命に捧げることをあらためて毎朝、強く誓い、自宅を出ていく。
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ネットをめぐる2つのお知らせ、そして、硫黄島の滑走路について(2009年02月27日 02時31分23秒)
たいせつな急告、ふたつ(後半)(2009年03月23日 09時59分52秒)
硫黄島をめぐる決心と約束、そして、「あと2日」(2009年08月28日 09時16分33秒)
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清涼の風 その1(2010年01月11日 22時38分55秒)
▼ぼくはふだん靖国神社に、こうした形ではなく、もうすこし簡略に参拝することもあります。
そのときは本殿に上がっての参拝(昇殿参拝)をすることはなく、拝殿(靖国神社の正門から真っ直ぐ突き当たりにあり、靴を履いたまま参拝できます)に、二礼二拍手一礼をおこなって参拝します。
しかし今回は、年の初めに当たることと、ことし5月に、この靖国神社で講演を行う予定となっていること、また靖国神社に合祀されている栗林忠道・帝国陸軍中将(正式には大将)と、その指揮によって硫黄島(いおうとう。いおうじま、ではありません)で戦われた先人たちに、「わたしたち国民のなかに硫黄島の戦いと、敗戦後の硫黄島の現状について認識が深まっています」との報告を申しあげたかったために、正式参拝を事前に靖国神社に要請しました。
*☆*:;;;:*☆*:;;;:
真夜中の空を見つつ(熊本に着いてから、すこし補足したり書き直しました)(2010年04月20日 02時34分43秒)
▼したがって、みなさんそれぞれの見識によって改善することがないのならば、コメント欄をすべて閉じるか、あるいは、個人ブログそのものを永遠に閉じるか、どちらかしかありません。
ぼくは、硫黄島の英霊のかたがたと、白梅学徒看護隊の少女たち、それから亡き父をはじめとするご先祖さまに清いお水と、深きも深い感謝と、ささやかな誓いを捧げるのと同時に、京都の広隆寺に半跏思惟のお姿でいらっしゃる弥勒菩薩に、祈りを捧げています。
修行者でもある弥勒の汲めども尽きぬ微笑に込められた、赦しのこころを、忘れないために。
悲しみ、落胆はしても、どなたも憎みませぬ。
コメント欄の完全開放を続けるのか、コメント欄かブログそのもののいずれかを閉じるのか、その判断も、なるべくゆるりと、ゆっくりと致したいとは思っています。
最後の最後まで、それぞれのかたにこそ、期待したいですから。
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くっくりさん「アンカー」文字起こし
「アンカー」硫黄島陥落63年 栗林中将の法要(2008.03.27)
「アンカー」硫黄島の滑走路下に眠る遺骨 政府が動き始めた(2009.03.26)
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【青山繁晴氏のファンサイト・淡交 ブログ】より
一言メッセージ:青山繁晴氏の「命がけの発言」がより多くの人たち広まる事を願って公開したブログです。
http://blogs.yahoo.co.jp/tankou_2008
「鎮魂 硫黄島」 硫黄島で散った勇士たちの霊に捧ぐ 2009/3/25(水)
実録「硫黄島玉砕」とアニメ「硫黄島作戦」 2009/3/26(木)
「硫黄島からの手紙」完全版 映像(前半) 2009/4/6(月)
「硫黄島からの手紙」完全版 映像(後半) 2009/4/6(月)
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花うさぎさんエントリー
昭和の白虎隊・海軍特年兵(2010/02/17 03:26)
昭和の白虎隊・海軍特年兵(続)(2010/02/18 08:47)
一日も早く硫黄島(いおうとう)の滑走路が剥がされて、英霊さんたちがそれぞれの故郷に還れますように。
そして、まだまだ世界中から還ってこれない英霊さんたちも戻って来れますように。
今まで冷たくてすいません。私たちはこれからみんなで暖かくお迎えする準備をして、お帰りをお待ちします。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
「凛として愛」より
ニッポンは敗れたままでいる。
平和を享受する現代ニッポンから遠く離れた異国には未だ収集されない将兵の遺骨が山野に埋もれている。
いつになったらニッポンは戦いに散った将兵を暖かく迎えてくれるのだろうか、全国民が祈りを捧げてくれるのだろうか。
靖国神社に祀られる二百四十六万六千余柱の英霊は未だ侵略戦争の汚名をきせられたままでいる。
かつて南方の島々で戦ったニッポン軍に援軍は来なかった。ならば今から援軍を送る。
ニッポンを変える援軍を送る。あなた方の真実を、痛みを、私たちは伝えていきます。
~YouTubeコメントより~
◎日本人なら必ず見て下さい! 日本に誇りを取り戻そう! 私達の素晴しき先人達を誇ろう!
◎この動画は全ての日本人に見て欲しい位です^^ up感謝です。
◎多くの日本人に見てもらいたい。とくに私としてはこの時代に多くの苦労をされた高齢の方々を看護する病院関係者にみてほしい。大切に敬愛の念を以て看護してほしい。
◎最後の7まで観ました。涙がでました。どうもありがとうございます。日本を護らないと英霊に申し訳ない気持ちになります。エックス良いじゃないですか?とってもバックとも合ってて素晴らしい選択です。
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拙ブログ:凛として愛関連エントリー ← 一部文字起こし&DVDジャケットあります。
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みおさんの一日も早い病気回復をお祈りします。
皆様からも暖かい応援&祈りをどうぞよろしくお願い致します。
本日の 『みおボード』
~やせ我慢AさんTwitterより~
*画像をクリックするとTwitter画面に飛びます。
やせ我慢Aさんからの掲載許可のお返事です♪
ツイッターで遊んでばかりの、A太郎です^^)
あんなコメントが、何かのお役に立つなら自由に使って下さい。
みおちゃんに、新しい出会いが増えることを祈って。
やせ我慢AさんTwitter
やせ我慢Aさんizaブログ
みおさんとの出逢いはコチラ☆
志は高く、熱く燃える女性「みおさん☆」(出逢い)
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3本目が「青山繁晴“硫黄島は生きるヒント”を語る」ですが、お時間がある方は、是非! 全編見てください!
http://www.ktv.co.jp/ktv/literacy/anchor.html
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青山繁晴さんブログ、硫黄島関連エントリー
ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ
魂の硫黄島へ(深く淡く生きる その番外編)(2006年12月07日 01時28分31秒)
硫黄島守備隊ご遺族の、しゅういちさんへ(2006年12月14日 03時16分49秒)
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来てください(2008年03月20日 03時27分58秒)
▼あまりに直前になってしまいましたが、今度の日曜、23日の午後1時から長野県松代町の「明徳寺」で開かれる栗林忠道・帝国陸軍大将の63年回忌法要に、ぼくも参列し、つたない講演も行います。
硫黄島の戦いで、敵だったアメリカからいまだに名将と敬愛され、祖国日本からは忘れ去られていた、あの栗林将軍です。
クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」で、渡辺謙さんが演じ、ジェネラル栗林は、ようやく日本国民にも知られました。
しかし故郷の松代町では、若者をたくさん死なせた戦争犯罪人のように誤解して、その名を記憶していた人もいたようです。
いわば名誉回復の法要でもあると、ぼくは考え、参加させていただくことにしました。
ぼくが2006年の12月に硫黄島を訪れ、島内をぼくなりに懸命にみて歩いたこと、そのあとはいかなる講演会でも、硫黄島で後世の日本の輝きのためにこそ死んでいった将兵の生きっぷりを話していること、それらをご存じのかたも、このブログを訪ねてくださるなかには、いらっしゃると思います。
交通費はかかりますが、講演などはもちろん無料です。
誰でもおいでになれます。
ぼくのためにじゃなく、栗林将軍のご遺族のため、また硫黄島に命を埋めたすべての、わたしたちの先達(せんだち)のために、どうかおいでください。
写真は、その法要と講演会のちらしです。
▼ぼくは、きょう間もなく、江田島の海上自衛隊・幹部候補生学校の卒業式に列席し、海上自衛隊機で、ほかの列席者とともに夜には東京に帰り、翌日の金曜夜には再び、大阪入りして、土曜日の午前に関西テレビの「ぶったま」の生放送に参加し、そのまま東京にとって返して、TVタックルの収録(放送は3月末)に臨み、翌日の日曜朝に長野県松代町に向かいます。
ぶったまやタックルに関心があるひとは、どうぞ番組をみてください。
そして、できれば、松代町でお会いしましょう。
一人でも多くのかたと、松代町でお会いしたいです。
このブログを読んで、長野県松代町の法要と講演会に来られたかたは、ぜひに、ぼくに声をかけてください。
固い握手を交わしたいと思います。
サインなどを、僭越ながらもしもお望みでしたら、すべてのかたのご要望にお応えします。
青山繁晴 拝 3月20日春分の日 未明3時40分
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断腸の記「あぁ新刊」の巻(2008年06月04日 13時44分08秒)
▼6月2日は、亡き父の命日だった。
日々の朝(あした)に、硫黄島の英霊のかたがたへ、一杯の冷やした水に、いくつかの氷を浮かべて捧げる。
器は、ちいさな模様の入ったガラスのコップだ。どこのうちの台所にもあるような、それを選んだ。
英霊のほとんどは、ふつうの庶民だったから、そのようなコップを懐かしまれるのではないかと考えた。
それとあわせて、沖縄の白梅(しらうめ)学徒看護隊の女生徒と先生へ、水を捧げる。
器は、すこし沈んだ青色の陶器を選んだ。
そして、亡き父と、ぼくの就職のめどが立っていなかったころ実家の庭で松の木の上に浮かんだ守護霊と思われる長身で髪の長い女性(結婚で増田姓となった春子さんという明治時代のご先祖らしい…)と、それから五百年ほど続いてきたという青山家のすべてのご先祖へと、水を捧げる。
器は、ほんらいはお正月の屠蘇(とそ)に使うような、塗りのおちょこだ。
これらの水はいずれも、硫黄島の英霊への水と違って、かすかにぬるい温度の水にしている。
父は、冷たい水が苦手だったような記憶がある。
ほかのかたも、硫黄の噴き出る熱い島で苦しみに抜いた英霊とはまた違い、冷水よりも、あたたかみのある水がよいような気がするからだ。
しかし、夏の季節に入っていくと、常温の範囲内で冷水に変えていく。
このごろの暑い夏となれば、女生徒も先生も、父とご先祖さまも、ぬるい水ではいやだろうから。
いくつかの水を捧げ、それから、この国を私心なく支えているかたがたのために祈り、最後に、ぼくの残りの命を天命に捧げることをあらためて毎朝、強く誓い、自宅を出ていく。
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ネットをめぐる2つのお知らせ、そして、硫黄島の滑走路について(2009年02月27日 02時31分23秒)
たいせつな急告、ふたつ(後半)(2009年03月23日 09時59分52秒)
硫黄島をめぐる決心と約束、そして、「あと2日」(2009年08月28日 09時16分33秒)
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清涼の風 その1(2010年01月11日 22時38分55秒)
▼ぼくはふだん靖国神社に、こうした形ではなく、もうすこし簡略に参拝することもあります。
そのときは本殿に上がっての参拝(昇殿参拝)をすることはなく、拝殿(靖国神社の正門から真っ直ぐ突き当たりにあり、靴を履いたまま参拝できます)に、二礼二拍手一礼をおこなって参拝します。
しかし今回は、年の初めに当たることと、ことし5月に、この靖国神社で講演を行う予定となっていること、また靖国神社に合祀されている栗林忠道・帝国陸軍中将(正式には大将)と、その指揮によって硫黄島(いおうとう。いおうじま、ではありません)で戦われた先人たちに、「わたしたち国民のなかに硫黄島の戦いと、敗戦後の硫黄島の現状について認識が深まっています」との報告を申しあげたかったために、正式参拝を事前に靖国神社に要請しました。
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真夜中の空を見つつ(熊本に着いてから、すこし補足したり書き直しました)(2010年04月20日 02時34分43秒)
▼したがって、みなさんそれぞれの見識によって改善することがないのならば、コメント欄をすべて閉じるか、あるいは、個人ブログそのものを永遠に閉じるか、どちらかしかありません。
ぼくは、硫黄島の英霊のかたがたと、白梅学徒看護隊の少女たち、それから亡き父をはじめとするご先祖さまに清いお水と、深きも深い感謝と、ささやかな誓いを捧げるのと同時に、京都の広隆寺に半跏思惟のお姿でいらっしゃる弥勒菩薩に、祈りを捧げています。
修行者でもある弥勒の汲めども尽きぬ微笑に込められた、赦しのこころを、忘れないために。
悲しみ、落胆はしても、どなたも憎みませぬ。
コメント欄の完全開放を続けるのか、コメント欄かブログそのもののいずれかを閉じるのか、その判断も、なるべくゆるりと、ゆっくりと致したいとは思っています。
最後の最後まで、それぞれのかたにこそ、期待したいですから。
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くっくりさん「アンカー」文字起こし
「アンカー」硫黄島陥落63年 栗林中将の法要(2008.03.27)
「アンカー」硫黄島の滑走路下に眠る遺骨 政府が動き始めた(2009.03.26)
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【青山繁晴氏のファンサイト・淡交 ブログ】より
一言メッセージ:青山繁晴氏の「命がけの発言」がより多くの人たち広まる事を願って公開したブログです。
http://blogs.yahoo.co.jp/tankou_2008
「鎮魂 硫黄島」 硫黄島で散った勇士たちの霊に捧ぐ 2009/3/25(水)
実録「硫黄島玉砕」とアニメ「硫黄島作戦」 2009/3/26(木)
「硫黄島からの手紙」完全版 映像(前半) 2009/4/6(月)
「硫黄島からの手紙」完全版 映像(後半) 2009/4/6(月)
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花うさぎさんエントリー
昭和の白虎隊・海軍特年兵(2010/02/17 03:26)
昭和の白虎隊・海軍特年兵(続)(2010/02/18 08:47)
一日も早く硫黄島(いおうとう)の滑走路が剥がされて、英霊さんたちがそれぞれの故郷に還れますように。
そして、まだまだ世界中から還ってこれない英霊さんたちも戻って来れますように。
今まで冷たくてすいません。私たちはこれからみんなで暖かくお迎えする準備をして、お帰りをお待ちします。
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「凛として愛」より
ニッポンは敗れたままでいる。
平和を享受する現代ニッポンから遠く離れた異国には未だ収集されない将兵の遺骨が山野に埋もれている。
いつになったらニッポンは戦いに散った将兵を暖かく迎えてくれるのだろうか、全国民が祈りを捧げてくれるのだろうか。
靖国神社に祀られる二百四十六万六千余柱の英霊は未だ侵略戦争の汚名をきせられたままでいる。
かつて南方の島々で戦ったニッポン軍に援軍は来なかった。ならば今から援軍を送る。
ニッポンを変える援軍を送る。あなた方の真実を、痛みを、私たちは伝えていきます。
~YouTubeコメントより~
◎日本人なら必ず見て下さい! 日本に誇りを取り戻そう! 私達の素晴しき先人達を誇ろう!
◎この動画は全ての日本人に見て欲しい位です^^ up感謝です。
◎多くの日本人に見てもらいたい。とくに私としてはこの時代に多くの苦労をされた高齢の方々を看護する病院関係者にみてほしい。大切に敬愛の念を以て看護してほしい。
◎最後の7まで観ました。涙がでました。どうもありがとうございます。日本を護らないと英霊に申し訳ない気持ちになります。エックス良いじゃないですか?とってもバックとも合ってて素晴らしい選択です。
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みおさんの一日も早い病気回復をお祈りします。
皆様からも暖かい応援&祈りをどうぞよろしくお願い致します。
本日の 『みおボード』
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やせ我慢Aさんからの掲載許可のお返事です♪
ツイッターで遊んでばかりの、A太郎です^^)
あんなコメントが、何かのお役に立つなら自由に使って下さい。
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やせ我慢Aさんizaブログ
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志は高く、熱く燃える女性「みおさん☆」(出逢い)
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