風邪で寝込んでから英語の勉強が止まっていて、再開しようというタイミングでちょっとモヤモヤすることがあって、そのまま止まってしまった。

 

海外のリアクション動画を見ていて、とある発言に考え込んでしまいモチベーションが見つからないでいる。

 

 

ダイヤグリーンダイヤグリーン

 

 

津波という言葉について、私はいまだネガティブなイメージを持っている。

 

多くの日本人にとってもそうではないか?と考えてるのだけど、まずこの感覚が、普通の感覚なのかどうかわからない。人にわざわざ話す機会もないし。

 

10年以上経ってるのだから、直接被害に遭ったわけでもないのに気にしてしまう私の方がおかしいのだろうか?

 

海の近くに住んでいるわけでもないから普段使うことも無いし、必要があれば普通に使う言葉ではある。

 

英語でもtsunamiという言葉は使われていて、地震があったとき警告としても使う普通の言葉。

 

でも私はなんとなく、デリケートな言葉だなと感じている。

 

 

ダイヤオレンジダイヤオレンジ

 

 

好きな海外のリアクターさんが鬼滅の刃を見始めて、私も見たことがある作品だったのでリアクション動画を見た。

 

主人公が水の技を出したとき「最近教わった日本語」として「tsunami~」と言ったのだけど、一回目では覚えたてだから気にしなかったが、別の回でまた楽しそうに「tsunami~」と言われたときになんだかすごくモヤモヤしてしまった。

 

「いや、そもそも主人公の技的にそれは津波じゃないし。あと、その言葉はあんまり楽しそうに言うものじゃ…」と思ったが、それは私の主観で(私が気にしすぎなのかな?どうなのだろう?)とも思って。

 

それからどうもモヤモヤしてしまった。楽しそうに津波と言われて、私は不愉快だと感じてしまったのだ。

 

「最近教わった日本語」で、本人はわかってないのかもしれない。教えた人も悪意はないのかもしれない。

 

モヤモヤしてるのは私だけなのか、そう思う私のほうが過敏に発言をとらえすぎてるのか?と考え込んでしまってわからなくなった。

 

「津波って言葉は、気軽に使わない方がいいと思いますよ」と、日本代表みたいな気持ちでコメントをしようかと一瞬考えたりもしたけども、「でもそれ私の主観じゃん」と。そもそもAIで作ったぎこちない英語コメントじゃただの荒しに思われて信用もされない。

 

そこで英語勉強のモチベーションを上げて「直接はっきりと意見を伝えられるようになろう!」ってならないのが私なんだな。

 

なんだか、悪い方に考えこんでしまう。英語を理解して良い経験ができる未来より、今まで見えなかった部分が見えて余計傷つくのでは…?という不安や恐怖。

 

私自身が人との距離感がわからずに、どれが攻撃で、どれが許される冗談で、どれがおせじで、どれが本当に好意的な発言か、わからなくなってるのかもしれない。

 

その覚えたての日本語ひとつで、好きだったリアクターさんに疑念を抱き、すごく傷ついた自分の方がおかしいのかもしれない。

 

今までどおり楽しく観られなくなって、考え込んでしまった。

 

私は何に、傷ついているのか。

 

 

ダイヤグリーンダイヤグリーン

 

 

ちょうどそのころ英語を少しずつ勉強しつつ、海外の差別意識に関する動画とかもいくつか見ていた。

 

以前ちょっと話題になった日本で迷惑動画を撮って逮捕されたジョニー・ソマリとか。白人の無意識な黒人差別の動画とか。

 

「また原爆落とされたいのか?」みたいな日本へのヘイト。

 

「偏見や差別は無知からくる」とわかっているので、「ああ、なんにも知らないのね」と笑っておけばいいのだけども。

 

 

以前アマプラで観た映画でタイトルは忘れたけど、日本をディスるような表現があった。

 

登場人物が寿司を一口食べて「うげー」みたいなリアクションをしたあと「何が美味しいのかわからないわ」みたいな発言をして全部捨てていた。

 

別の映画でも芸者(っぽいもの)のショーを横目に「なにが面白いのかしら」と登場人物に言わせていて。

 

(こ、これは・・・、日本そのものに対するアンチなのか、日本かぶれや日本ブームに対するアンチなのか・・・?)と謎に思った。ストーリー的にそれを出す必要が全く無いシーンだったから。

 

ちなみにその映画二つは同じ女性監督だったことは覚えてるが、タイトルはメモらなかったので忘れた。(話題に出すならメモっておけばよかった)

 

 

そもそもアメリカの映画やドラマに出てくる日本関連のシーンは、日本人は使われていないし、色々間違っててツッコミどころが多いのが昔から当たり前だったけども。

 

これは別に日本人が作る作品でも、外国人キャラや海外文化のシーンを入れたら色々間違ってるだろうからお互い様だとは思う。

 

 

当時は英語勉強も関心が無く気にしてなかったので、タイトルをメモらなかったし、そもそも「ぜんぜん日本のこと知らないで作ったのね」という感じだったので、笑うだけだった。

 

初めから悪意や敵意を持って、意図的に日本を貶める発言や表現を入れようとする人もいるだろう。

 

でも、あまり調べてないような内容ならば「知らないのね」で失笑して終わる。

 

自分に実際に被害が無いならば気にすることじゃない。

 

 

ダイヤオレンジダイヤオレンジ

 

 

私がモヤモヤしたのは、「相手が最初から敵意や悪意を持ってやる」ということでなく。

 

「むしろ好意的でいるのに本人が無自覚かそれとも仲間への意識優先で入れてくる見下しや侮辱」という部分をどう判断し、どう扱っていいかわからないからだ。

 

そういったもののほうが、混乱する。

 

 

親しい友人が実はいつも自分にマウントを取っていたと気が付いたときのショックというか。

 

相手が無自覚でこちらを見下していたとき、気が付いてしまったら離れるしかない。

 

なぜなら、相手のその無自覚なコンプレックスは、本人が気が付いて本人が直そうとする以外どうしようも無いから。

 

そういった感覚に近い。

 

 

また、1対1ではそういったことが無くても、周囲が「いじり」とか「ノリ」とかで見下しやマウントをしてきたときに、それに乗っかってしまうパターンもある。

 

仲間意識の方が優先されて、みんながいるときに雰囲気を壊せないからと攻撃側に回るようなとき。

 

本人にとって「仕方ないだろ」という理由があれば敵になれる。

 

これも結局、実はこちらを見下している。

 

親しみを表面に出しながら、ふとした時に見える「敬意や配慮の無さ」に愕然とする。

 

こちらが好意的であるほど、実は自分は大切には思われてなかったとわかるとショックは大きい。

 

画面の中だろうが、実際に会っておしゃべりしていようが、本当は相手のほんの一部分しか見えていない。

 

人と自分の距離感、そして相手が自分をどう思ってるか、自分が相手をどう思ってるか、計り間違えるとどこかで傷つく。

 

 

リアクターさんの「tsunami」の発言を聞いたときに、この人も無意識的に差別意識があるのかもと今までの発言や態度で少し感じていたことが表に出てしまって結びつき、ショックだったのだと思う。

 

私のほうが勝手に好意的に見て、勝手に親近感を抱き、勝手に相手の発言で傷ついている。

 

それなら間違っているのは私だろうと思う。

 

 

ダイヤオレンジダイヤオレンジ

 

 

この先、英語を勉強して情報が増えていくほど、言語の違いでわからなかった色々な人の小さな無神経さや悪意なんかもわかると思う。

 

翻訳頼りでなくちゃんとわかるほど、今まで観ていたリアクターさんの本当の人格なんかが見えてきて、より好ましく思うかもしれないし、嫌いになるかもしれない。

 

それを見極めるために英語の勉強を始めたはずが、もっと単純で深い問題に改めてぶち当たった感じになった。

 

 

別に日本人だからとか外国人だからとか人種は関係なく、「人間だから」誰でもどんな人でもある。人格や相性、価値観の違い。

 

すべてが良い人ではないし、善人悪人ときっぱり別れているわけでもない。自分と価値観があってるわけでもない。見下しや人種差別などは、はたから見てすぐわかるような悪意だけがすべてではなく、ほんの小さな発言とかに本人も気が付かないくらい小さく出てきたりもするもの。

 

私自身も「結局、日本に生まれてよかったわー日本食大好きだしトイレ綺麗で最高!」みたいな、海外と比べたときの変なマウントとかがあったりしたりする思う。

 

「日本語の繊細さを英語では表現しきれないんじゃないの?」みたいな気持ちもある。それはまだ勉強不足だから検証してるところだけど。逆に日本語は、いまだ知らない漢字読み方無限に出てくるとか、めんどくさい部分もあるからそれはそれでお互い様だとは思うけども。

 

結局は、他人への距離感とか心構えというような。そういう部分の曖昧さ、線引きできてないところにきっとモヤモヤの原因があった。

 

収益化目的ならあからさまな悪意あるヘイトは入れないだろうと思う。でも「みんなが笑ってくれる程度のジョーク」でなら言ったりもする。

 

英語が理解できてたら「その発言、不愉快だわ」と傷つくかもしれない。

 

こういったことをもっと気軽に相談できるような、英語勉強仲間(?)的な友人などがいないことも問題だと思った。

 

人に話して感覚を調整することができない。

 

なにか引っかかったときに、「むこうではこういう感覚だから、悪気があるわけじゃないよ」など一言言われるだけでモヤモヤはすぐに消えると思う。

 

私が受けた感覚が、ただの誤解かどうかも確かめられない状態にモヤモヤしてしまっている。

 

 

ダイヤグリーンダイヤグリーン

 

 

人に裏切られた、と思う経験が重なって人間不信になってから、「親切にしていたのに裏で悪口を言われていた」みたいなパターンが怖くて過敏になる。

 

敵か味方か、線引きが曖昧でわからなくなっている。

 

ただただ攻撃におびえて、それ攻撃?それも攻撃?と神経質になっているし、無意識の悪意を勝手に感じとって「攻撃された」と勝手に傷ついている。

 

自分が受け止めるべきこと、まったく気にせず受け流すこと、その判断ができなくなっているのかもしれない。

 

 

こちらは好意的に相手を見ているのに、相手は実は悪意を持っていた、というのが一番気持ち的に裏切られてショックが大きい。

 

そうならないために、心を簡単に許さずにつねに相手を疑う。些細なことでも疑う。

そして疑心暗鬼になって、揚げ足取りのように他者の言動ひとつひとつを気にする。

 

 

日本人とか、外国人とか関係なく。

 

私がすごくイヤだと思うことの一番は『自分は差別するような人間じゃない!人にマウント?そんなこと自分はしたことない!自分はとても善人だもの!』という人が、無意識から表に出してる差別やマウントや見下しを全然認められないとき。

 

それに気が付いたけど「でも、この人にどれだけ伝えても無駄だろうな」って感じるとき。

 

単純に価値観が違う。それを指摘したところで相手を変えることはできない。

 

「自分は正義」っていう感覚は、本当に修正できないし、本人も気が付けない。「正義」っていう言葉こそがときに凶悪なのに。

 

言語がわかったところでわかりあえないということ。それに気が付いて、モチベーションが下がってるのかも。

 

そもそも日本人相手でも絶望的に「この人日本語通じないわ」があるし。

 

自分がどこか『わかりあえないことが当たり前』をわかっていてわかってなかった。

 

初めからそれを当たり前と思って接して段階を踏み、どこまで自分の内側に入れるか、早めに離れるか。

 

そういう距離感で何事も楽しめるような、私自身の心の持ち方ができてないんだと思う。

 

家族や仕事のトラブルで人間不信になって、自分自身の距離感の問題を感じて。

 

海外のリアクション動画を見て、日本に好意的な人たちに勝手に好意的な気持ちになり、わかってくるにつれてなんだかショックを受けて。

 

ここでもやっぱり距離感の問題が出てきている。

 

自分が他者を最初に好意的に思って受け入れようとして、あとから自分が大切にされていないと感じて拒絶するパターン。

 

最初に距離を間違えたのか。

 

めぐりめぐって、英語の勉強でも距離感について考えさせられて、結局戻ってくるのはここからなのかと思ったりした。

 

 

基本的には、最初から他人に親切で好意的でいる自分になりたい。

 

だけど、モヤっとするときの気持ちの切り替えが難しい性格だと自覚してる。

 

ゴールデンカムイの杉元のように、親切で優しく、しかし敵と判断した途端バッと気持ちを切り替えられるような、そういった切り替えができる人になれたらいいけど。

 

何か理由があるのでは?私自身が勘違いしてるのかも?誤解かもしれない…と、切り替えるタイミングを見つけられない自分。

 

そして苦しむならと、人との関係を断ってこのほうが気楽だと1人でいるのだけど。

 

考える時間は増えるばかり。

 

 

 

今もまだ、そのリアクターさんの動画を引き続き見ている。

 

まだまだ、人を知る途中なのかもしれない。いつか、自分の言葉で英語コメントを入れるのかもしれない。

 

 

ただ、英語勉強のモチベーションは下がったまま。

 

仲間とか、相談相手がいるって大切だよなぁと今回の件でしみじみ思った。1人だとちょっとしたことで悩んで悩んで、すぐ躓く。

 

価値観が合っていてなんでも相談できる信頼できる人が傍に、1人でいいから欲しいなぁと結論が出て。

 

信頼できる人とはどんな人か?どこで出会えるのか?で、またぐるぐると考え出した。

 

時間をかけてじっくり向き合わなければ相手が本当はどんな人間かなんて見えてこない。