病気と仕事① 大学教員の場合(音楽担当) | ピアノ教師Sayoの日記帳 再生不良性貧血とともに生きる

病気と仕事① 大学教員の場合(音楽担当)

病気になった時、心配することの1つに仕事をどうするか、ということがあった。


病気になるまで、

3つの大学で教員(非常勤)として

音楽の授業(ピアノのレッスンや楽典の講義など)を担当していた。


結論から言うと、すべてやめざるを得なかった。

まずは何と言っても体力的に難しかった。

講義であれば立ちっぱなし、喋りっぱなしなのだ。

ある曜日は1〜4限まで連続してレッスンを、

また他の曜日は1〜3限まで連続して講義を担当していた。

2つの大学を1コマずつハシゴしてた曜日もあった。


音楽というのは感染リスクの高いシチュエーションが何かと多いことも心配材料だった。


しかし当初は

もっと回復して

授業数を減らせば頑張れるかもしれない、

と思い迷い・・・


そこで大学のうちの1つには1年休んで復帰するつもりで調整していた。

上司にも戻ってくるよう、促されていた。


しかし大学の上層部は考えが違ったようだ。

私自身から病気の状態を直接聞くことなく、

契約は更新されないこととなった。


15年熱心に勤めた大学のあっけない終わり。

非常勤の弱さが身に沁みた。


私は他にも仕事があるし(次の記事に続く。)、

夫の収入もあるから

たちまち経済的に困窮することはなかった。


でも・・・


社会はこれでいいの??