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そんなに私の話おもしろい
光栄です
さて、これが【ススキノホテル殺人事件】のシリーズ最終回です。
私の体験談で締めくくります。
私がこの事件に関心を持ったのは、何よりも
適切な療育を受けなかったASDの末路を知りたい
という個人的な強い欲求からでした。
実際田村瑠奈がASDだとは明らかになっていませんが。
間違いないでしょう。
ここに統合失調症、パーソナリティ障害などの様々な二次的精神障害が附随されてしまっている。ハズ。
桜子がASDの療育を本格的に始めたのは小3の時。今からちょうど2年前です。
それまでは母親の私も懐疑的でした。
しかも発達障害の勉強を長男の時に散々してきたにもかかわらず。
なぜなら、高IQの部分がそれを上手に隠していたため、
「いかにもASD」じゃなかったからです。
しかし、ASDの専門家に具体的に指摘され、さらにASDに特化した療育を徹底的に行った結果、私を困らせた他害は見事に消え去りました。
まだまだ発展途上なので、カッとなった時、強い口調でまくしたてることは多々あります。
「学校に無理に行かなくても良い」
と数カ所の専門機関でも言われましたが、私はなんとか行けるように頑張りました。
少数の理解ある人に囲まれて育ったら、
自分の思い通りになると脳が誤作動を起こすからです。
自分の意にそぐわない人たちとの人間関係を学んでこそ、人とのコミュニケーション、相手の気持ちを尊重することを学べるというのが、私の信念です。
たとえこれによって桜子が疲弊したとしても、そこは譲れませんでした。
今、桜子は自分の機嫌を自分で取ることを覚えました。
これ、実は大人でもできない人が多いです。
特に家庭内で配偶者に八つ当たりする人は、男女問わず多いのが現状です。
そして、最も重要なこと。
これは、ASDの専門家から教わったことです。
ASDの人は道がひとつしかないと思ってしまう特性がある。
だから、嫌なことが起きた時、自殺したり、人を殺したりするのは、その道しかないと思うから。
ASDの療育とは、
分岐点に立った時、「道がいくつもある」と本人に示してあげること。
これをギャングエイジの桜子に、2年間徹底的に叩きこんだ結果、彼女は
怒りの発動=他害
に結びつかなくなりました。
その場を離れてクールダウンし、怒りを鎮める方法
そもそもこれは怒るほどのことでもないのかも
相手もそんなつもりで言ったわけではないのかも
など、いろいろな思考を巡らせられるようになりました。
高IQにあぐらをかいて、これらの療育をしなければ、待ち受けていたのは、引きこもり、二次障害、最悪今回の事件のような歪んだ思考になったかもしれません。
田村瑠奈は療育されなかった桜子の行く末なのかもしれないのです。
先日、私の精神科を受診したら、4カ月ぶりに主治医がいました
「先生は今回の事件、同じ精神科医としてどう思いますか」
と聞くと、
「医者も神じゃないってことだね」
極論
なんでも、医師仲間で重い統合失調症の人がいるそうです。
その医師は、気持ちがわかるからか患者に対して非常に適切な治療を行える。
でも、自分が統合失調症なのには全く気付いていない。
「医者も客観視できないものだよ。
我が子ならなおさらそうだったのかもしれないね」
数百人も重い精神病の患者を診た医師の父親も、娘の病気を改善させることはできなかった。
それは、小学生時代にASDの療育をせず、思春期以降、自我が出てから手を打とうとしたからでは
それでは遅すぎる。
「やれることはやった」
そんな言葉はあの両親から聞きたくない。
娘が小学生時代、壁に穴をあけるほど暴れても、発狂しても、物を買い与えて鎮める方法を取ってはならなかった。
やれることを今やっているのは私。
桜子が仮に大人になって犯罪者になったとしても、
「私は知りません。私は無罪です」とは私は絶対に言えない。
障害児の親のストレスって、戦地で戦う兵士と同じレベル
だそうです
「大変なんです」の一言ではとても言い表せない
よって今私は戦地の最前線で銃を持って戦っています
これは当事者にならなければわかりません。
でも、間違いなくこれだけは言える。
私は寿命を削ってでも、鬱になっても、体を壊しても、桜子が二次障害を起こさないように療育してきた。
そして、
困った時に道がいくつもあることを体と頭で覚えさせた。
今回の事件の私の個人的見解。
桜子が3年生をピークに
死にたい、生きているのがつらいと言い続けた時、私は
何とか死なないでほしいと思いました。
今、付き合っているギフっ子のお母さんたちも、最終目標は、我が子が学者や医者になってほしいわけではない。
死なないでほしい。
それだけ。
成人後、リスカを繰り返して、何度も自殺未遂をした田村瑠奈に対しても、両親は同じ思いだったはず。
死なないでほしい。
それだけの理由で、精神を病んだ娘を否定も肯定もせず、そして、
相手を殺すか自分が死ぬかという『道がひとつしかない』極限に立った娘に、殺人を許してしまった。
これが最終的な答えではないのかなと思います。
道はいくつもあるんだよ。
これを両親は小さい頃から教えてあげなければならなかった。
そして、当事者も知る努力をしなければならなかった。
この原因が、事件の裏にある深層ではないか、というのが私の分析です。
専門家じゃないけど。実は専門家より当たってたりね