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「どの文学作品が好きはてなマークと聞かれた時、私が必ず挙げるのは宮沢賢治の

雨ニモマケズです。

文学でないワネ滝汗

 

 

私も桜子に負けず劣らず変な子で、小学5年生の時にこの詩と出逢って以来丸暗記し、

そういうものに私もなりたいびっくりマーク

と思い続けながら大人になった変な人です笑

なんのこっちゃ口笛

 

クローバークローバークローバークローバークローバークローバー

 

雨にも負けず、風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、

欲はなく、

決して怒らず、いつも静かに笑っている。

 

一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、

あらゆることを、自分を勘定に入れずに、

よく見聞きし分かり、そして忘れず、

 

野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋にいて、

東に病気の子供あれば行って看病してやり、

西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い、

南に死にそうな人あれば行って怖がらなくてもいいと言い、

北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい、

 

日照りの時は涙を流し、

寒さの夏はおろおろ歩き、

みんなに「でくのぼー」と呼ばれ、

褒められもせず、

苦にもされず、

そういうものに私はなりたい

 

クローバークローバークローバークローバークローバークローバー

 

この詩は、義父の虐待で心身共にボロボロだった私の心にとても響きました。

 

質素に生き、人に親切を施し、自分を戒め、自己主張をしない。

 

非常に難しい生き方ですが、まさにこれは仏教の教えにもつながります。

 

大人になり、この詩の意味がわかるとなおさら素晴らしさを痛感しました。

 

 

子供の頃は、リズムが良く、韻を踏んでいるこの詩が単に気に入っていただけだったのかも笑い泣き

 

 

赤薔薇赤薔薇赤薔薇

 

この「雨ニモマケズ」は、宮沢賢治が発表した作品ではありません。

 

賢治の死後、家族によって遺品から発見されたメモ帳の中に記されていた言葉です。

 

つまり、賢治は誰かに向けて書いたわけではなく、自分自身への生き方、戒めの言葉として記し、常に持ち歩いていたのです。

 

これが、賢治の直筆の手帳。

 

 

賢治がワタシハナリタイと思った

そういうものには実際のモデルがいました。

 

 

そのモデルとは19歳年上の斎藤宗次郎というクリスチャン。

 

 

日清・日露戦争が起きていた明治中期、軍事主義を突き進む日本で愛と平和を説くクリスチャンは迫害され、斎藤は「でくのぼう」と呼ばれ、道行く人に石を投げられることもあったそうです。

 

それでも彼は雨の日も風の日も、町の人々のために平和を祈り続け、子供に飴をあげたり親切心を忘れませんでした。

 

その姿勢は次第に周囲に伝わり、いつしか「斎藤先生」と呼ばれ、尊敬を集めるまでになりました。

 

 

宮沢賢治は仏教徒でしたが、同じ岩手県出身の斎藤をこよなく尊敬し、「こういう人になりたい」という願いを込めて、この「雨ニモマケズ」を手帳に書き記し、肌身離さず持ち歩いていました。

 

 

赤薔薇赤薔薇赤薔薇

 

 

私は健康的な生活とは縁がなく、自堕落でお酒が大好きで、雨の日や雪の日は外に出たくありません笑

 

みんなに「デクノボー」と呼ばれるのはプライドが許しません笑

 

苦にはされたくないけれど、褒められたいです笑

 

けれど、宮沢賢治が憧れた生き方に私も憧れ、斎藤先生のように信念を曲げず親切心を忘れず、無の精神で生きていきたいという志だけは強く持っていますキラキラ

 

クローバークローバークローバークローバークローバークローバー