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余命宣告の3ヵ月を過ぎ、さらに峠と言われた2週間を過ぎても、頑張って生きていた母。
ただ、妊婦の私の方が体力の限界
そこで、夜だけ母の妹(私の叔母)の家で寝泊まりさせてもらうことになりました。
布団があることは極楽だったけど。。。
まあー叔母さんも母の悪口を言う言う
わかってるから聞きたくないわ
「こんな忙しい時に死なれたら、葬式にも出なきゃならないし迷惑だわ。
時期を選んで死んでくれたらいいのに」
の言葉はさすがにキョーレツでした
一応私は娘なんだよ、叔母さん。。。
ちなみに、その叔母も2年後に亡くなり、葬式に私は出ませんでした
けっこう嫌いな叔母だった
それくらい兄弟からも見放されていた母。
私が良い行いをしたいと常日頃思っているのは、死んでも誰も悲しまない母のようにはなりたくないからです
一方、母は余命宣告の2週間を過ぎた頃から肺のガンが脳に転移し、完全に意識不明になりました。
それまでは、私が話しかけたら返事はしない(できない)けど頷くことはできたのに。
しかし、意識不明になってまでも痛みに襲われ、ずっと呻いている姿を、私は見ていることしかできませんでした。
「ガンで死ぬってこんなに痛いんだ本人も早く楽になりたいだろう」
それが私の率直な感想でした。
この頃からいつ亡くなってもおかしくはない状態になり、ついに心電図のモニターが取り付けられました。
ある日、心電図の波をボーッと見ていたら、突然波が一直線になって
心臓が止まった
びっくりしすぎてすぐにナースコールを押すと、医師と看護師がバタバタと走ってきて、心臓マッサージが始まりました。
まるでドラマの世界のよう。
こんなシーンが今目の前で現実に起きているなんて。
医師たちの力で再び心臓が動き出して、母は生き返りました
その後、医師が私を外に連れ出してこう言いました。
「次に心肺停止になった時、どうしますか」
「えっと。。。本人の希望は」
「伝えないまま意識がなくなったので、ご家族が決断してください」
「では義父に。。。」
「いえ、この決断は再婚相手ではなく、血縁者であるあなたの意思が最優先なんです」
えええーー
そんな決断を私がするの
母としばらく交流がなかった私には、荷が重すぎる選択。。。
とはいえ、迷うことなくキッパリと言いました。
「次はそのまま逝かせてください」
病室に戻った私は、母の耳元で話しかけました。
「お母さん、聞こえる?
次に心臓が止まったら、もう蘇生しないよ。
私がそう決めたの。
それでいいよね?
楽になりたいよね?」
その時、意識不明で聞こえていないはずの母の目から、涙が一筋流れ落ちました。