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私、自分の「死」については、全く恐れていません凝視

 

日々善行を積んでいるので、死んだら良いところへ行けると本気で思っていますニヒヒ

 

私が若くして死を受け入れる境地に至っているのは、仏教的な考えに基づいて生きていることと、母の死を看取ったことが大きいと思います。

 

 

これまで母の死についてブログで語ったことはありません。

 

人が死ぬ瞬間を見たのは初めてだったし、ましてやそれがたった一人の肉親だったことで、強烈な印象を残しました。

一生忘れない体験です。

 

赤薔薇赤薔薇赤薔薇赤薔薇

 

 

母と最後に連絡を取ったのは、私が20代半ばの頃。

電話で「お金貸して」と言われ、断ると

 

「親が困っている時に助けないのはありえない。お前とはこれきりだ」と一方的に縁を切られました。

 

 

情けなくて号泣しましたが、それから数年後、義父から「お母さんが余命3ヶ月だ」と連絡が来ました。

 

母の病気は

肺腺ガンのステージ4

 

 

本当はそれより半年前に異変に気付いて病院にかかったものの、ガンを発見できず、誤診のままどんどんと症状が進み、背中の強い痛みで再診した時はすでに手遅れでした。

 

しかし、母の余命宣告の知らせを受けても私は帰りませんでした。

 

その理由は妊娠初期で連日出血が激しく、いつ流産してもおかしくないくらい私の身体が不安定だったこと。←これが長男ですネガティブ

 

そしてもうひとつの理由は、仕事に穴をあけられないため。

 

当時の私は、大きな番組を担当し、私が脚本から制作までを担っていました。

 

プロデューサーやディレクターはいましたが全て私の意向に任されていて、収録の際、私の意にそぐわない出来の時は何度もやり直ししました。

 

そのこだわり抜いた作品が、社内外で高い評価を得ていたのです。

 

スポンサーも何社もつき、毎週数百万が動く番組を無責任に抜け出すことはできませんでした。

 

(そのため、陣痛の時も出産当日も原稿を書いていた凝視もやもや

 

 

再び義父から

「医師からあと2週間だと言われた」

という知らせを受けて、いよいよ私は不在の代理をプロデューサーにお願いし、飛行機に飛び乗りました。

 

原稿を書くためのたくさんの資料と喪服を荷物につめて。

 

 

赤薔薇赤薔薇赤薔薇赤薔薇

 

この時私は妊娠5ヶ月の安定期。

余命宣告はすでに3ヵ月を過ぎていました。

 

 

過去のモヤモヤを水に流すつもりで、

「お母さん、きたよ」

と話しかけましたが、母は私の顔を見て怒った表情をしたまま返事をしませんでした。

 

それでも私は身重の身体で個室のソファーで寝泊まりし、母を看病しました。

 

実家に帰ることができないのは、義父から暴力を受ける恐れが大きかったからです。

義父のことだから、妊娠していることを知るとお腹を殴ってくるかもしれない。

恐怖心で義父に会うことはできませんでした。

 

 

幸い、義父は母が入院してから一度もお見舞いには来ませんでした。

 

仕事もせず、自宅で飲んだくれて、ひたすら現実から目を背けていたのです。

 

母は悪行のせいで私という唯一の肉親も失い、今、死の間際に「夫」という男からも見放されている。

 

長年私への虐待を見ぬふりをしてきた当然の報いだと思いました。

 

赤薔薇赤薔薇赤薔薇赤薔薇

 

それでも2週間、私は毎日母に食事の介助などを行いながら「その時」を待っていました。

 

母のためではなく、自分がのちのち後悔しないためです。

 

 

ところが一向にその気配がない滝汗

 

毎日硬いソファーで寝泊まりして、お腹が張って苦しい泣

 

さらに職場からは「早く帰ってきてくれ」の催促コールアセアセ

 

さすがに病院にいるのがつらすぎて、だんだん死ぬなら早く死んでくれという気持ちになってきましたショック

 

でも、母は母で懸命に病と闘っていました。

 

徐々に最期の時を迎えていくのを、私は黙って見守るしかありませんでした。