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皆さん、昨日の記事はスカッとしましたか
私も思っていることを再婚相手にようやくはっきり伝えられてスッキリしました
「月10万円の養育費を支払っていた」というクソババアから告げられた事実を知り、改めて、縁を切って数年の実母を思った私。
いつもは散々母のことを嫌い、死んで良かった、来世でも会いたくないと書いていますが、全て本心です
それは、義父の虐待を止めなかったから。
自分が手を出されるのを恐れて私を生贄に差し出していたのが、どうしても許せなかったから。
死にはしなかったけど、何度死に目に遭ったか。
顔を殴られて鼻の骨が折れても病院にも連れて行ってもらえなかった。
おかげで今も少し鼻曲がっています。私の可愛い顔が。。。
さらに、義父には豪華な食事を作って(作るというより高い刺身を切ったりその程度)、私にはカップラーメンか、茹でたら出来上がりのハンバーグみたいな
結果的には、死んだあと、お骨が行方不明になり、供養もされず、いつまでも成仏せずに私にまとわりついていましたが
天罰が下った
義父も死んでるとは思うけど、しぶとく生きてたりして。
まあ、天罰が下るでしょう。もうどうでもいい
ただね、母は義父と再婚するまでは、というより、42歳で脳梗塞になるまでは、私をすごく大事にしてくれた。
父親と離れた私に、私が父に抱っこされている写真を飾って寂しくないようにしてくれたり、父から(後からおばさんだったと知るが)よく届く私への洋服を着せてくれた。
そして、父の悪口を絶対に言わなかった。
ある日、小学校の入学式の洋服が届きました。
ベージュのワンピースに花柄がたくさん入った、とても可愛いドレス。
私は喜んでその服を着て入学式に出ました。
「お父さんの奥さんが手縫いで作ってくれたんだよ。
ありがたいね」
と言った母。
毎月10万円の養育費も、一括で支払ってくれた500万円の大学資金も、母は一生懸命貯めてくれていましたが、結局は翌年小学2年生の時に、にっくき義父と再婚したのと同時に、全て義父がギャンブルで使い果たしましたが。
そして、私が大学進学時になると、「お前にやる金は一銭もねえ」という捨て台詞を吐きやがった。
私が当時の母に身を置き換えて考えてみても、とても同じ行動はできない。
自分の目を盗んで浮気をして子供までつくって、その女が産みたいと言ったばかりに今の家庭(私と母)を捨てて別の女に走った父。
いくら毎月10万もらっても許せない。
子供に罪はないとはいえ、そんな泥棒女が作った手縫いの洋服なんて、ビリビリに捨ててやる
それを「お父さんの奥さんがくれた」といつも有難がっていた母。
プライドはないのだろうか。
もし私が思春期ならそんな服、着ることもしなかったはず。
そんな母が、脳梗塞で生存率数%のところを奇跡的に生き残って、ガラリと性格が変わってしまったのは仕方がないことだけど。
お人好し過ぎる。
それなのに、あのクソババアは
「月10万あんたの母親に出すのもキツかった」
とのたまった
じゃあ、私に洋服をつくっていたのはなんだったんだろう。
懺悔の気持ちじゃなかったの
さすがに大嫌いな母に、哀れさを感じずにはいられなかった。
かといって、縁を切ってたから、父と連絡を取ったことは母には言わなかったけれど。
今頃、私がいなくなって母は酒乱の義父に殴られているんだろうな。
とは思いました。
人生って不条理すぎる。
夫を奪われて、人生を転がり続けて、たった一人の娘との交流も断って孤独に死んでいった母。
好きな男を奪って、2人の人間を不幸にしながら、今なおのうのうと父と幸せに暮らしている、再婚相手。
父にとっては再婚相手が運命の人だったんだろう。
でも、そんなこと、人生経験の浅い23歳の私にはわからないこと。
母はどんな思いで、再婚相手から得意げに送られてきた入学式の洋服を私に着せたんだろう。
私は、たくさん撮ってもらった入学式の写真に、全てハサミを入れて捨てました。
笑顔でおどけた写真も、母と2人で並んで祖母に撮ってもらった写真も。
母に哀れさと同情を寄せながら。