ピッコマで漫画配信中! 「ぎふてっど」で検索
「神様は乗り越えられない試練しか与えない」
「子どもは親を選んで生まれてくる」
こんな言葉をつくったのは、苦労知らずの幸せな人なのかな
当事者からしたらなんの励ましにもならない。
ところで、私という人間は仏教の教えで成り立っています
信者ではありませんが、手塚治虫のブッダは私のバイブルです
仏教が派生して日本にいろいろな宗教が伝わって今があるので、私はそれらをいいとこどりで信じています
その中で、こんな話がありました。
お坊さんとマンツーマンで取材した時のことです。
「なぜ子供は親を選んでくると言うのですか?
虐待死される子も選んでいるんですか?」
「選んでいるんだよ。
その親に修行させるためにね」
魂にもランクがあるって聞いたことはありますか?
江原さんも同じことを言っています。
修業しなくても良い高徳な魂は、この世に生まれてくる必要がない。
人間に産まれる魂は、まだ修業が必要だから。
つまりは人間であることが、一番つらいこと。
常に苦悩を抱え、
「生きるとは何か」を考えなければならない。
自分と対峙しなければならない。
その与えられた人生の修業を終えて
気づきが生まれた時、
次にまた輪廻転生するか、ランクが上がって生まれ変わる必要がないかが決まる。
バカバカしいと思う人もいるかもしれませんが、私、この話を割と本気で信じています。
だからこそ、今与えられた苦行を全うせずに命を投げ出すのは、一番良くないことと捉えているんです。
(自分はね)
私が前回の話で江原さんの言葉に救われたというのは、こういうことです。
「親は基本的に子どもの模範になる」という概念がある。
だから親なのにどうしてこんなことをしてくれないのと腹を立てることもある。
けれど、魂のランクはみんな違って、ランクが高い人間が、低い人間のもとに産まれてくることもよくある。
だから、親に納得がいかない時は、後に産まれただけで自分の魂のランクが高いと思いなさい。
その親たちは今の人生で「気づき」もなく、この後何百年もまだまだ苦しい修行を続けなければならないかわいそうな人たちだから。
この言葉で、私をあれだけ虐待した義父と、放置状態だった母を許すとまではいかないけれど、過去を清算して忘れようと決めることができたんです。
そして、自分は魂のランクが高い人間だと思うことにしました
思ったもん勝ち
私が取材でお坊さんと話した時も、全く同じことを言っていました。
人間の魂は、生まれる前に自分で寿命を決めている。
死ぬのを早く選んでいるのは、基本的に位の高い魂。
子供を虐待死させるほどの人間は、地獄に落ちる一歩手前の魂。
それをあえて身を犠牲にして死ぬことで、「親」という存在に教えを諭している。
そして、運命通り、短い命が失われた魂は、二度と生まれ変わることなく、高徳なランクに上がって、幸せになることができる。
一方で、自分が犯した罪、自己中心的な考え方に気づくか気づかないかはその人次第。
反省してその後の人生をどう生きるかで、魂を少し成長させられたら、次に生まれ変わった時の人生が決まる。
(人間としての修業はもちろん続く)
私、この話、取材したお坊さんだけでなく、本でも読んだし、何人かから同じ話を聞きました。
私たちは現世では
「こんな小さい子がつらい思いをしてかわいそう」
と思いますが、もっと広い視野で捉えると、お勤めご苦労様という考え方になるそう。
これも結局は、人間が考えた説。
目に見えないこと、特に天界のような壮大な話になると、全く理解不能です
でも、もしそんなことが本当にあるのなら、ただ虐待死されただけと考えるよりも救いがあるのかもしれない。
そして私も、苦難の子供時代を経て、今また苦難の子育てをしている意味は、天から与えられた修行なのかもしれない。
少なくとも桜子は私を選んできたと思います。
私じゃないと絶対対処できない。
今頃心中しているか〇しているか。。。
そう思うと、しっかり全うしなければと思えてくるのです。
たとえ自分の都合の良い考え方だとしても、私にはこの教えがかなりしっくり来るんです
じゃなければ今桜子を頑張って育てている意味。。。
ー次回も続くよ。ちょっと番外編ー
江原さんの言葉はこの本に書かれている。。。はずです