「自殺をやめた方がいい理由」
こんな衝撃的なタイトルが、先日、中村和恵さんのコラムで書いてありました。
中村さんは明治大学の教授で、詩人、エッセイストでもあります。
以下、書かれていたことを私の言葉でまとめさせていただきます。(一部は抜粋)
中村さんのお父さんは4人兄弟だったが、1人は中村さんが生まれる前に自殺している。
それを初めて母から聞いた時、11歳だった「わたし」はとても疲れていた。
学校に行きたくない。
何もしたくない。
ずっと寝ていたい。
永遠に眠れたらどんなにいいだろう。
私はこの世には向いていないみたいだし。
11歳の「わたし」は考えた。自殺っていいかなぁ。
でも、みんな絶対ダメっていう。なんで?
この時11歳の「わたし」が出した結論は
「生まれたことに理由はない。
生に理由はない。
生は自然現象で、本来わたしがコントロールできるものではないから自殺すべきでない」
でも、この問いは「わたし」の成長とともに大きくなり、人生が複雑になっていくほどいつも自殺のことが頭をよぎった。
「なんで自殺はいけないの?」
特に今、コロナ禍や貧困で、気持ちが暗くならない方がどうかしている。
それに伴い、自殺者も急増している。
それでもやっぱり自殺は辞めた方がいいのだ。
理由① 失敗したら最悪。飛び降りたら歩行者にぶつかり、その人は即死、自分は全身麻痺。
理由② この世に向かないからと言っても、あの世に向くとは限らない。
意識だけが永遠に暗闇に漂うなんてなったらどうする?
そして中村さんはこう結論付けます。
「すべての自殺は自爆テロ」
ひとつの自殺の影響は、それを知った人たちにまで及ぼす。
多くの人の心に自殺の危険性がある。
偶然その死を知った人、身近な人、この世に生まれていない姪(中村さんの自殺した叔父のせいで自分がそういう思考になった)まで自殺はたたる。
やめられるならやめた方がいい。
このコラムを読んで、いろいろと考えさせられました。
中村さんと桜子の思考は似ているのかもしれない。
頭が良すぎるが故の思考に思えてしまう。
たとえどんなにつらい状況に追い込まれたとしても、生きていることに疲れ果てたとしても自殺はいけない。
死んで楽になれるとも限らないし(これは死んだらわかるでしょう)、残した人のことを少しでも考えられる余力があるなら、やはりやめておいた方がいいのでしょう。
私の中に『死』は身近にあるものではないけれど、桜子はどうしても生まれつき死生観を持っている子だから、中村さんのこのコラムが、彼女がこれから生きていくヒントになればいいなぁ
「生きてたらいつかいいことあるョ」という言葉が死にたい人に届くのかはわからないけれど
ま、死んだら死んだでしゃーない
あ、今日のオチはオチになってないわ