最近、桜子に伝記を読ませるようにしています
もともとちょっとずつ読ませていたけど、また再燃
なにせ休日になると一日中ありとあらゆることを質問してくるので、もうゲンナリ。。。
テレビを観せても黙ってられず、ちょっとした言葉の意味とか、時事問題とか、科学的なこととか。
とにかく疑問に思い、深掘りしようとする
好奇心旺盛なのはいいけど、度が過ぎる
桜子を寝かせた後、私は毎晩疲れ果てて←こんな顔になっています。
魂抜けた感じ
本人はもともと読書がそんなに好きでもないし、読むにしても図鑑や辞書が好きですが、私のイチオシは伝記です。
人の人生を通して学びになることが多いからです
私自身も子供の頃から伝記が大好きでした。
今桜子が読んでいるのは「バッハ」「キリスト」「アインシュタイン」
アインシュタインはこれ👇すごく良い本です
アインシュタインは、これまで相対性理論の本を何度も読ませています。
「相対性理論って何」と聞かれてそのたび説明できず、小学生用の相対性理論の本を与えていましたが(得意の丸投げ方式)、
それでもイマイチ2人とも意味が分からず
いやいや、それよりもまずアインシュタインの伝記を読ませればいいわ
と方向転換した私
そして私自身、アインシュタイン本人について勉強してみました(相対性理論はもう置いといて)
そしたら、素晴らしい名言をたくさん残していることが、今さらながらわかりました
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。
常識とは「一般の社会人が共通に持つ、知識や意見、判断力」という定義だそうです。
私もよく「常識」という言葉を使いまくっています
しかしその「常識」は人によって千差万別であり、みんなの「常識」は誰かにとっては「非常識」でもある。
極端な例で言えば、今起きているウクライナ対ロシアの戦争も、ロシア以外は「戦争は非常識」と思っていますが、ロシア国内では「この戦争は正当な方法である」と指示している声が多い。
まあ、これは極端な悪例ですが、他にもマナー的な常識もありますね。
食事中に肘をついてはならないとか。
悪人はギロチンで公開処刑されるのが当たり前だとか(その悪人の定義すら曖昧)
常識とはもともとアリストテレスによる哲学的な概念が始まりだそうですが、いったん物事の「常識」が決まれば、それを覆すのはなかなか難しいようです。
ここで、さらにアインシュタインが言っているのは「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」
常識とは社会的な共通意識。
偏見とは個人的な偏った見方。
一見真逆のように思われますが、これがアインシュタインのスゴいところ
彼は「常識」と「偏見」は本質的に非常に近いと言いたい。
「常識」や「偏見」は、その国、その時代によって変化していくもので、「~でなければならない」と多くの人が思えば、それはもう「常識」で、「~でない人間はおかしい」というのは「偏見」。
共通点は、どちらも型にはめていること。
アインシュタインはそのような枠にとらわれずに、自由な発想を持って(それこそ常識の範囲内で)自分の中の殻を打ち破ろうと言いたいのでしょう。
まさに、他人が真似できない想像力を貫いて世の中を変えた彼ならではの発言です
アインシュタインは他にもこんな名言を残しています。
私の学びを妨げる唯一のものは、私が受けた学校教育である。
正規の教育を受けて好奇心を失わない子供がいたら、それは奇跡だ。
空想は知識より重要である。
知識には限界がある。想像力は世界を包み込む。
教育とは、学校で学んだことを一切忘れてもなお身についているものだ。
「教える」ということは、こちらが差し出したものがつらい義務ではなく、「貴重な贈り物」だと感じられるようなことであるべきだ。
アインシュタインは、子供に意欲を持たせること、自分の頭で考えることの重要性を訴えているのです。
これらは、横並びの学校教育を行っている日本において、特に身につまされる言葉です。
大学進学をゴール地点に置いている学校や保護者たちに、アインシュタインは自らの経験を通して子供の自主性を重んじさせるよう、警鐘を鳴らしています。
やはり偉人の思考は学びになります
現実逃避してアインシュタインを読みふけっていた私
良い気分転換になりました
読書の秋です。本を読みましょう
このシリーズおすすめです。子供も大人もわかりやすい内容