サクラです。
教会に生まれた女の子なら目指させられがちなのが「どこに出しても恥ずかしくない娘」。主に嫁ぎ先にって意味ですね。
炊事、掃除、洗濯、裁縫、一通りの家事はもちろんのこと、おつとめのおてふり、鳴り物も全部イケる。義父母に口答えなどありえないパーフェクト嫁のことです。
ぶしつけですが、これ もうやめませんか?って思います。
こんなの目指させられ、さんざんいい聞かされて育った人って、ひずみが出ますよ。どんな風にかというと、「完璧でないと許されない私」という強迫観念です。
ちょっとしたミスにも人生終わったかのように落ち込み、1つ注意されれば一族の恥とばかりに重く受け止め、人生とことんやりづらくなったりします。
まあ、私のことなんですけどね。プライドばっかりはぐくまれてしまいましたね。
そんなもんよりも、上手に他人に助けを求められる人を目指させるべき。助けを求めるのも簡単なことではないから。そっちの方をがんばってもらえばいい。
苦手なものは苦手でもいいよ。できなきゃ数分後に死んでしまうってくらい切羽詰まってるなら死ぬ気でやるべきだけど、そんなもん実際はないから。
それと、本当にいるんでしょうか。「どこに出しても恥ずかしくない娘」にしたい理由に、『親の手柄』の気持ちが ただの1%もありませんよ、って自信持って言える人。
恥ずかしいとか恥ずかしくないって言葉を使ってる時点で、主語は親ですもの。
「理の親」への忖度や、誰かに向けてのパフォーマンスで子どもを育てるのは、もうこの代で終わらせてください🙏ホントに頼みます。って思います。