サクラです。

 天理教を怖いと感じる一番の理由は前回書きました。

 今回は2番目。それは、脅しです。

 教会に来なくなったり、お供えしなくなったりした信者さんが出たら、その人がまず言われるのは「命わからんで」じゃないかな。離れたら神様のおてびきがあるよ。と。

 おてびきとは本来 導くということだと思うのですが、このタイミングでそのワード出したら、それは罰という意味で使われています。だって、「それが嫌なら……」ってことでしょう。脅しにほかなりません。


 私はとくに脅され信仰だったので、恐ろしいものという感覚が植え付けられています。(信じてる間は問題は発生しないんだけどね)

 ホントに怖いですショボーン




 ……か、神さまに怯えながらも 今なら反論できるもう1人の自分もいます。以下、その自分からの主張です↓


 「おてびき」があるなら、あったで良くない?みんな自分の人生は自分で責任取りますよ。たとえば 家族に不幸が…ってことになったとしても、神様から与えられた温かいメッセージなんですよね?その人とって必要な。

 だったら それでいいじゃん。

 そんな、その人が心から信仰することになるきっかけを他人が「そうはなりたくないでしょう?だから…」っていうのは矛盾してるし、他人の人生に踏み込みすぎな気がする。

 そう。本人から現在望まれてるわけでもないのに「あなたを助けたいから」って、余計なお世話というか、押し付けがましいというか、相手をみくびってるというか…。

 望まれてから何かしてやってあげたら?と思う。