サクラです。
先日 とある少年会行事で、除草ひのきしんがありました。
天理教としての活動はホントにしんどいですが、社会に貢献する活動自体は良いなあと思います。
で、終わってからスタッフの先生から挨拶が。
今日はおつかれさまと労ったあとで、
「ひのきしんは、イヤイヤやっていては天に届きません。ですから云々…」と
…………いや。
ゲームの1つもしたいところを、親に言われて なんとかがんばって来た子もいるかもしれないのに。
最後にそれ言われちゃ、じゃあ今日やったことムダだったんだ、と思わせても仕方ない。
がんばったね、と労うだけじゃダメなの?このタイミングで その教義使わなきゃいけない?
私が若い頃だったら聞き流してたんだろうけど、今は違和感でいっぱいになった。
そういう人はこんな目に遭えばいい↓
会社に遅刻しそうで急いでいるときに道を聞かれた。口頭だけでは伝わらないから仕方なく案内してあげた。最後に相手にこう言われた。
「ありがとうね、助かった。でも、こういう善行をイヤイヤやっていては天に届く理も不足するんだからね😉」と…。
つまりです。教義を口にするなってことではなくて、タイミングは考えようよって話です。
次も来たい!と心から思ってもらえるようにしたいならさ…