藤沢周平さんによる時代短編小説集。―――
歴史に名を残した剣客たちの決闘シーンを
リアルに描いた五つの作品を収めています。
冒頭の第一話「二天(にてん)の窟(あなぐら)」では、
巌流島の決闘で有名な宮本武蔵が登場します。
彼は吉川英治の代表作「宮本武蔵」以来、
剣聖とあがめられてきたお人。―――
ドラマや映画などでも剣の求道者として描かれ、
そのストイックな生き方に共鳴した方も多いと思われます。
ところが本編で作者は勝負に執着する
彼の卑劣な側面を鮮やかに活写。―――
従来のイメージを覆して見せます。
心身ともにその衰えを隠せない最晩年の武蔵。―――
そんな彼の前に現れたのが不敵な若者鉢谷助九郎だった・・・。
ある日二人は木刀で立ち合うが武蔵は打ち込める
ことができず止む無く「引き分け」に持ち込む。
自身の不敗神話が崩れるとの怖れを抱いた武蔵。―――
鉢谷はこの立ち合いの話を
行く先々で吹聴して回るだろう。
やがて彼はこの若者を不意打ちにしてしまおうとするが・・・。
もちろんこの物語りは作者が
作り上げたフィクションだと思われます。
とは言え皆さんご存知のとおり、武蔵はかつて巌流島で
ある駆け引きによって佐々木小次郎を倒した人物。―――
本編における彼の行為に腑に落ちる読者も
少なからずいらっしゃるかも知れません。
続く第二話「死闘」は将軍家の兵法指南役となった
神子上典膳(みこがみてんぜん)と
兄弟子との確執を描いた物語り。―――
二人が交わす決闘シーンは集中随一の迫力で読者に迫ります。
また第三話「夜明けの月影」には
柳生但馬守宗矩(むねのり)が登場。―――
野心家としての彼の側面を興味深く描出しています。
第四話「師弟剣」は師岡一羽斎(もろおかいっぱさい)と
その弟子たちの師弟関係を描いた物語り。―――
らい病にかかった恩師を見捨てた弟子に、
二人の相弟子がその仇を討とうというお話しです。
本編では(おそらく)虚構と思われる師の姪が登場。―――
物語りに彩りを添えるとともに、
印象深いエンディングに導いてくれます。
最後の第五話「飛ぶ猿」は戦国時代の剣客・
愛洲移香斎(あいすいこうさい)と彼を亡き父の仇と狙う
若者の対決を描いた物語り。―――
猿の素早い身のこなしに似た移香斎の剣法が活写されています。
以上の五編はいずれもストーリーテラーとしての
作者の本領を発揮した作品です。
歴史上の事実を踏まえつつ、新たな物語りを
創造した作者の手腕には敬服する他ありません。
またその一方で作中の剣劇シーンを描出する
作者の簡潔な文体にも注目です。
対決者の静と動、光と影が次々と交錯するなかで、
息詰まるような緊迫感を漂わせるフレーズが連続。―――
剣の一振り。
刃先のきらめき。
間合いの伸縮や、
相手に殺到する風の音。―――
これらが剣客たちの鮮明な
映像イメージを喚起すると同時に、
時代をこえて読者をハードボイルドな
異世界に誘ってくれるハズです。
令和6年1月5日 読了 B (講談社文庫)
「二天の窟(あなぐら)」(宮本武蔵)
~「決闘の辻」(藤沢 周平)より
武蔵は夜明け前の闇にうずくまって鉢谷助九郎を待っていた。
あの不敵な若者は、兵法者武蔵の胸の中で、まさに消え行こう
としていた最後の火をかき立てたようでもある。武蔵はこう思
う。せめてもう十年前だったら、ひと打ちに不具にしていた。
勝ったつもりか知らぬが、まことの兵法がどういうものか、い
まに思い知らせてくれよう・・・。