注意:

ありのままをお伝えする上で、生死の内容があります。苦手な方はご遠慮ください。















今日は母の日。


私の母は、私が18歳のお正月の日に、天国へ旅立ちました。

母はずっと入院中で、この日の朝父からの連絡で目覚めて、人生で初めて見た初日の出。

本当に綺麗な太陽で、ゆっくりゆっくり空へと昇って行きました。


まるで母がこれからゆっくりゆっくり昇っていくように見えて...。




母は、私が小さい頃から病弱でよく入退院を繰り返していました。


幼いながらに私は、

「なんでお母さんは、体が悪いん?」って聞くと

「お母さんが子供の頃に事故に合ってそれから悪くなったんよ」って言ってた。


それを周りの人にも隠すことなく話す母だったので、手伝って下さったり助けていただいてました。


私が成長していくと、それが恥ずかしかった時期もありました。



確かに小さい頃に事故にあったらしいけど、最大の原因は私を産んだ事かもしれません。母体にかなり負担がかかったお産でした。





私ってどんな風に生まれてきたか気になり、父に聞いた事があります。



母は、妊娠中は順調で街の小さな産婦人科で出産する予定でした。

ですが産気づいた頃、その産婦人科ではお産ができず大学病院に運ばれました。

かなりの難産で付き添った父は、病院のソファーで2日間ほど過ごしたそうな。


そして帝王切開でやっとの思いで生まれた私の心臓は、、、止まっていたそうです。。。


その話を聞いた私は、

「私、きっとお空に忘れもんして一旦取りに帰ったで心臓止まったんやわ。でも今はちゃんと動いてる。でも、どんな忘れもんなんやろ?」と思いました。




しんどそうなお母さんを見た時に、


もし私が母のお腹にいなければ...

難産じゃなければ...

空に忘れ物をしなければ...


母の人生はもっと長かったのかもしれない。

私が悪かったんかな?と思う時もありました。



母がいつも隣にいた18年。

周りのお母さんと比べて嫌な時もあった。 

いるのが当たり前で、その幸せに気づかない時もあった。


料理が苦手で、小3からずっと遠足のお弁当や夕飯を作ってた私。

薬の管理が苦手で、ちゃんと確認しないと飲んでいなくて大変だったな。

欲しいものを頼むと、必ず2個ずつ買ってきてたな。

母が入院すると、患者同士で友達になって楽しく入院生活をしていたな。

ババア!と言うと、めっっっちゃ怒られたな。

私のバイトの給料日には、2千円貸してと言ってたな。


プクプクした母の手。

寒くないようにと、私の服を温めてくれた母の愛。

喉が弱くてすぐ熱を出す私を、寝ずに看病してくれた母。



ちゃんとありがとうって言わなきゃ...って思ってたのに反抗しちゃて、ごめんなさい。


そんな多感な時期でもある私を思ってか、父は母の余命を私になかなか言えず、1人でずっと悩んでいたそうです。





お母さんがくれた命や愛、ちゃんと伝わってたよ。


お母さんが繋いでくれた命、今も私の心臓はちゃんと生きてる。

そしてお母さんの孫たちにちゃんと繋がっていっている。


私がもしお空に忘れて、取りに帰ったものがあるとすれば...それを見つけるまで必死に生きます。


私を命がけで産んでくれてありがとう。

たくさんの愛をありがとう。


お母さん、お父さんの子になれて今もこれからも幸せです。