今回の記事から、
最近の出来事について書き残します。

時系列では夢④のつづきです。



息子の治療も経過観察に入り


今後は月に1回、

地元の大学病院の眼科、小児科と

東京のがんセンターの二箇所にて

腫瘍が再発していないか、
新しい腫瘍はできていないか、
確認をしていただくことになりました。


今回は、経過観察に入って初めての
大学病院の外来のことを
書き残しておこうと思います。


…………………………


がんセンターにて
「網膜剥離しているようだ」と
先生に教えていただいてから、


「網膜剥離」の言葉がひたすら怖くて

ブログから逃げていただけでなく


たまたまスーパーで買い物をしていた時、
レジの近くで会話をしていた
お母さん達の言葉から

「網膜剥離しちゃってたみたいで…」

のフレーズが耳に入ってきた時、

息が出来なくなる程苦しくなり、
そのまま立つことさえできなくなってしまう
こともありました。


そんななか、
がんセンターから帰ってきてはじめての

地元の大学病院の外来受診日が来ました。



眼科の主治医の先生とは
入院中の診察で何度もお会いしていましたが、


外来の看護師さん達と
お会いするのは久しぶりで、


息子の病を告知され、
手術の説明を受けた日以来のことでした。



告知された時と言えば
私は錯乱状態で車椅子で運ばれていたので

看護師さん達からすると
「どうしようもない母親」と
思われていただろうなと思い、


久しぶりにお会いするのが
恥ずかしいという気持ちもありましたが、


「あの時はご迷惑をおかけしました」
「今はなんとか頑張っています」

と、伝えられる機会だと思い、

今回は笑顔でお会いしようと決めていました。


…………………………


久しぶりにお会いした看護師さん達は

まず息子を見て
「大きくなったね!」と
喜んでくださいました。

息子と会ったのも生後3週間の時以来で、

あの時から半年経ったんだなあと
改めて、感慨深いものがありました。



息子の診察の際はいつものように
瞳孔を開く目薬を指します。

その際、義眼を見慣れているであろう
眼科の看護師さんでさえ

どちらの眼が義眼であるか分からず、
私に確認をしてくださり

改めて、息子の義眼は
プロの方ですら判断がつきにくい程に
自然なものであるのだと感動しました。


瞳孔が開ききったところで
主治医の先生が眼の中を診察してくださり、

現在の息子の眼の状態について
ご説明いただきました。



主治医の先生はお会いしてすぐ

「まずは東京での治療を無事終えられて
 お疲れ様でした」

とお声がけくださり、

「腫瘍の状態ですが、活性化している
 様子もなく、落ち着いています」

と、教えてくださいました。


その言葉に安堵しつつ、
私は、この主治医の先生に
どうしても確認したいことがありました。



それは、

息子はいつ、網膜剥離をしてしまったのか

です。



東京のがんセンターの先生は、

「いつ網膜剥離したかは分からないが、
 おそらく剥離していたであろうと
 考えられます」

とおっしゃられていました。


治療前(病気の告知時)には
網膜剥離についての説明はなかったため、

剥離したとすれば治療中ということに
なります。


治療中、
抗がん剤投与を1クール終えるごとに
主治医の先生に眼を診ていただいて
いました。

その時は先生は何もおっしゃっては
いなかった。


主治医の先生が、
網膜剥離しているのに教えてくれない

ということは考えづらい。


では、いつなのか。



これだけは確認しなくてはならないと
ずっと思っていたため、


私は、網膜剥離という事実から
逃げたいという気持ちを必死に抑え込み、


先生からどんな答が返ってきても
絶対に逃げるものか、と
自分を奮い立たせ、


意を決して先生に尋ねることにしたのです。



長くなってきたので、つづきます。