晴天ではあるが、
底冷えのする埼玉である。
だんだん冬らしくなってきた。



実家にいたちーにゃんは、
なかなかに、
数奇な運命を辿った猫だった。
ハチワレの女の子で、
別嬪さんの類に入っていたと思う。



時は25年以上前に遡る。
私はまだ20代で、
実家に住んでいた。


奔放な妹は、
母が経営していた
スナックで知り合った男と
恋仲になり、
母の制止を振り切って
実家を出ていくと、
男と同棲を始めた。


妹も我が家の
人間の例に漏れず
猫好きだった。
同棲開始と共に
子猫を貰ってきた。
どこで貰ってきたのかは
分からない。妹に聞いても
答えをはぐらかされた。


妹の同棲生活が
上手くいっていたのは
ほんの数ヶ月。
男が働かなくなり、
妹がキャバクラ勤めをして
家計をささえる状態になった。


男は家事もせず、
妹とは喧嘩が絶えなくなった。
口が達者な妹に
ブチ切れた男は、
暴力を振るうようになった。
暴力は激しさを増し、
命の危険を感じた妹は、
誰にも行き先を告げずに
失踪した。


失踪して数ヶ月後、
母宛に妹から
病院の診断書と、
失踪に至るまでの経緯が
記された手紙が届いた。


私と母は、それで初めて
妹がDVを受けていた事実を知った。


母は男にブチ切れ、
男の両親と男に説教をし、
二度と妹に近づかないと
念書を書かせた。
男の両親から、いくらかの
慰謝料が支払われた。


で、ちーにゃんである。
男もそれなりに
ちーにゃんを
可愛がっていたが、
男は実家に
戻ることになった為、
ちーにゃんは
引き取れないと言った。


その時、実家には
チンチラのオスで、
タロという子がいたが、
母は躊躇わず、
ちーにゃんを引き取った。


先住猫のタロは
白血病と腎臓病を患っており、
余命宣告されていた。
性格も温和で、
ちーにゃんを見ても
のほほんとしていた。




逆に、ちーにゃんが
シャーシャーいっていた。
タロが7歳で虹の橋を
渡るまでの2年間、
ちーにゃんは、たびたび
タロをいじめた。
自分が先住猫みたいな
顔をして威張っていた。


そうそう、
ちーにゃんは、
妹のところで“チビ太"と
名付けられていた。
女の子だし、
違和感ありまくりだったので、
ちーにゃんに改名した。


ちーにゃんは気が強くて、
猫嫌いな子だった。
母よりも私によく懐き、
私はちーにゃんの
お世話係になった。
ちーにゃんのご飯代も
私が負担した。
家族の猫、というより
私の猫状態だった。


ちーにゃんが7歳くらいの頃、
私と母は大喧嘩し、
私は実家を出ることになった。
勿論、ちーにゃんも
連れて行くつもりだった。
しかし、母に断固阻止され、
諦めた。なぜなら、
母は猫がいないと
精神バランスが取れない
人だったから。



ちーにゃんと別れて2ヶ月。
どうしてもちーにゃんに
会いたかった私は、
母がスナックに出ている時間を
狙って、実家に侵入した。
ちーにゃんに忘れられていないか、
ちょっとドキドキした。



出迎えてくれたちーにゃんは、
私を覚えていてくれた。
ビャービャー大声で鳴き、
ゴロゴロ喉を鳴らして
スリスリをたくさんしてくれた。
抱き上げると、顔をペロペロ
舐めてくる。
嬉しくて嬉しくてボロボロ泣いた。


1時間ほど滞在して、
名残惜しいが、帰ることにした。
ちーにゃんが玄関まで
着いてきて、どこに行くのかと
ビャービャー鳴く。
また、涙が溢れてきた。
後ろ髪を思いっきり引かれながら、
家路に着いた。
電車の中でも泣きそうで
やばかった。


それから10ヶ月後、
運命の猫、さくらと出会う。
さくらを保護したのは、
皮肉にも母だった。


さくらと暮らし始めて1ヶ月。
母から、さくらを連れて
泊まりに来いとのお達しがあった。


あまり気は進まなかったが
ちーにゃんには会いたい。
さくらを連れて実家に帰った。


実家の扉を開けると、
ちーにゃんが走ってきた。
私を見て、嬉しそうに
ビャービャー鳴いた·····が。
私が持っている
キャリーバッグを見て
態度は一変。
ヴーヴーと唸り、
威嚇してくる。
一緒に住んでいた頃なら、
威嚇するちーにゃんを
宥めることが出来た。
でも、もう駄目だ。
ちーにゃんに敵認定された。


キャリーバッグの中の
さくらは肝が据わってる。
威嚇し返す訳でもなく、
キャリーバッグの中で
大人しく鎮座していた。


私が出ていった後も、
ちーにゃんは
私の部屋に住んでるらしい。
可哀想だったが、一旦
ちーにゃんを元私の部屋に
閉じ込めて、
リビングでさくらを解放した。


さくらはふんふんと匂いを
嗅ぎながら、アチコチ
探検して回っている。
私はちーにゃんが気になって、
様子を見に行った。



部屋のドアを開けると、
思いっきりシャーシャーされた。
どんなに声をかけても駄目だ。
あんなに一緒だったのに·····
悲しくなって、少し泣いた。


私は部屋の前に座って、
ちーにゃんを呼び続けた。
すると。
自分が呼ばれてると思った
さくらが、リビングから
出てきてしまった。
威嚇するちーにゃんを
ものともせず、
私の膝に乗ってきた。
ちーにゃんをまっすぐ見る。
まるで、
『この人、わたしのママ。どう?
羨ましい?あんた、ママいるの?』
と、挑発しているようだ。
さくらは、性格がちょっとアレなので·····


ちーにゃん大激怒。
野獣のようになって、
もう手がつけられなかった。
1泊せよとの母のお達しだったが、
さくらを連れて帰ることにした。
さくらは動じていないが、
ちーにゃんが可哀想すぎる。


この日で、ちーにゃんとは
完全に決別した気がした。


それから、母がスナックを廃業、
購入した中古物件に引越し、
ちーにゃんの住まいは
また変わった。一軒家は初めてである。


地域猫活動が
盛んなところで、
母も餌やりさんになった。
色んな猫が庭にやってきた。
中でも、母が"茶々“と名付けた
オスの茶トラは、
人間慣れ抜群で、
各所の餌やりさんたちに
愛でられていた。



ちーにゃんとは最初、
網戸を挟んで
猫パンチバトルをしていたが、
めげずに通ってくるうちに
仲良くなり、
母が家に招き入れると、
こたつで一緒に寝る仲になった。


病気ひとつせず
元気なちーにゃんだったが、
14歳になってから、認知症の
症状が出始めた。
母の目を盗んで脱走し、
帰り道が分からなくなって、
家から数100mのところで
鳴き叫んでいるところを、
母の顔見知りの餌やりさんに
保護されたことが数回あった。


病院に連れて行ったら、
進行性の認知症なので、
完治は出来ないと言われた。


トイレを失敗するようになり、
意味もなく鳴き続けるようになり、
顔の表情がなくなって、
ご飯も食べなくなってきた。
栄養点滴をする為に病院に通い、
病院から強制給餌するように
言われたが、母は強制給餌
出来なかった。
仕方がないので、
私がさくらを連れて泊まり込みで
実家に行き、強制給餌した。


そんなちーにゃんは、
ホタテの缶詰めの汁だけは
自分から舐めた。
母は泣いて喜んだ。


実家に帰って、驚いたことがひとつ。
母は、ちーにゃんを
“ちーもも"と呼んでいた。
何で、ももなんだろう·····
母に聞いたが、
『だって可愛いじゃない』
で、終了だった。
まぁ、あだ名はつけるよね、
例え訳が分からなくてもね·····
私も、さくらに訳のわからん
あだ名をつけていたので、
ひとまず納得した。


表情を無くしたちーにゃんを
見ながら、
思えばちーにゃんは、
お世話係が3回も変わって、
人間の都合に振り回された
猫生だったな、と思いを馳せた。
多分、ちーにゃんに
“ママ"と呼べる存在はいなかった。


プライドが高くて、
気の強かったちーにゃん。
トイレを失敗したことなんて、
今までなかった。
オムツ、嫌だろうな·····



その日は突然やってきた。
私と母が揃って2階に行き、
戻ってきたら、
ちーにゃんは呼吸を
していなかった。
目はどこも見ていない。


ちーにゃん享年15歳。
母は、ちーにゃんに
取りすがって泣いた。
なぜだか、
ごめんね、ごめんねと
ちーにゃんに謝っていた。


私も涙が溢れた。
家を出たあの日。
無理にでもちーにゃんを
連れていけば良かった。
私が、ちーにゃんのママに
なってあげれば良かった·····


翌日、
葬儀屋を頼んだのだが、
たまげてしまった。
母は、ちーにゃんを
ちーももという名で、葬儀屋に
依頼していたのだ。


えっ?
えっ?
ちーももってあだ名じゃ
なかったの?
ちーにゃん、改名されてたんだ·····


最期まで、数奇な運命を辿った
ちーにゃんであった。


ちーにゃんを送り出す日、
近所の餌やりさんや、母の友人、
私の友人が、小さな花束を持って
見送りに来てくれた。


ちーにゃん改めちーもも。
ママはいなかったが、
多くの人に愛された猫生だった。
ありがとね。