未来を創るヒーローたち…! | 和太鼓アイドル 桜りりぃ オフィシャルブログ 「こだわりりぃの太鼓バン!!!」Powered by Ameba

未来を創るヒーローたち…!

この十日間で…


当たり前だった日常が、どんなに幸せなことなのかを知った。

人間の、己の、非力さに絶望もした。

地震、津波、原発、政治、外交、日本、戦後…とにかく調べまくった。

自分の無知さに驚愕した。

とにかく、動こうと模索した。

そして、生きてきた中で、いちばん祈った。


そんな十日目、身近な「優しさ」について考える。


悲しいことも、不安なことも、一筋の光のような喜ばしいことも、

すべての情報が飛び交う東京で、

いま、とくに話題なのは、「買占め」「節電」「原発」「風評」。


どの話題にも共通するのは、自然災害じゃないってこと。

人間があって、はじめて起きる事象や問題であること。


人が関わるということは、そこに批判する者がいるってこと。


今、ほぼ満場一致なんじゃないかという問題をあげれば、

「買占めはダメ!」とか、「節電しなきゃ!」とかかな?


ほんとに、そう思う。

今もなお、被災地で苦しむ方々のために、やるべきことしなくっちゃって、

りりぃさんも強く強く思う。

自分勝手は、やめようよ!って。

ひとりでも多くの人に、そう思ってもらいたい。



ただ…、気になることがある。



先日、こんなことがあった。


信号待ちしている、りりぃさんの隣の二人組が、

節電してるお店と、そうじゃないお店について、目に付く限りを批判していて、

「○○○○(店名)は、まじクソ。ありえない。」

「ほんと、○ねばいいのに。」

そこから先、ここでは書けないような罵倒の文句が並んで…。

それは、耳をふさぎたくなるほどのものだった。


たしかに、煌々と看板の明かりがついているお店だった。

りりぃさんも、(ありえない…こんなときに…)と、やっぱり思ってた。

ちなみに、その二日後には、看板の明かりは消えていた。


また、こんなこともあった。


大型スーパーで、ミネラルウォーターをかなり多めにカートにいれてる中高年の女性がいた。

売り場は、もう、あとちょっとしか残ってなかった。

りりぃさんが、心ん中で(うーん…)と思った、まさにそのときだった。

後ろから来たカップルの男性の方が、通り過ぎざまに、

「てめぇ、人のこと考えろよ、クソババァ」

と聞こえるくらいの声で吐き捨てていった。

周囲の人は、振り返り、その女性に冷ややかな視線をおくって、また戻った。

女性は、気まずそうにしながらも、そのままカートをレジに持っていった。


帰ってから、考えた。

もしかしたら、隣近所のご老人たちに配るための水ではなかっただろうか?

ご老人の近所の小売店では、買占めにより手に入らなくなっていたのではないか?

大型スーパーまで歩いていって、水を持って歩いて帰ってくることが困難なのではないか?

他にも、救援物資用だったりと、ただの買占め以外の可能性たちは、拭いきれなかったのではないか?

(現に、あるブログで、救援物資を買いに行って、買占めを注意されたという人も見かけました。)



昨日、ある友人が、こんな言葉をこぼした。


こういう状況のときって、無意識のうちに差別的に考えてしまっていることが、よくある。とくに、真面目な人ほど。


すごく、しっくりきた。



前の話においては、汚い言葉で批判するぐらいなら、直接、お店に打診してみればよかった。

お店の人が、そのとき置かれている状況を、ちゃんと把握できてないのかもしれなかった。

二日後に看板の明かりは消えていたんだから、きっと「気づき」のきっかけがあったはずだ。


後の話だったら、その女性に優しく話しかけてみればよかった。

事情があったなら手伝うべきだし、買占め目的だったら、不安になる必要はないと優しく諭せばよかった。

買占めちゃう人は、その行為による影響や、安心するための情報や知識が、ただ少ないだけなんだ。


そして、両方ともで何もできずに、心の中で思うだけだった自分を、激しく悔いた。



この二つの出来事は、その言葉の汚さから、行き過ぎた感が伝わりやすいけれど、
これほどでなくても、『ごく無意識な差別意識』って、けっこう誰もが陥りやすい問題ではないかなぁ…。


もし、1%でも疑わしいとき、99%を鵜呑みにして、自己的な発言や思想で人を傷つけてもいいのだろうか。
大半のイメージに流されて、自分で確認もせずに、差別してよいのだろうか。

それが当たり前に続いたら、恐ろしいことになりかねない。

「風評問題」も、まさに、その一種ではないだろうか。


人は、みんな人。


これから、わたしたちは、悲しみから立ち上がり、未来をつくりあげていかなければならない。

先人たちヒーローに続き、正義を胸に、それぞれが小さなヒーローになっていけたら素敵なことだ。


でも、間違えてはならない。敵は、目の前の誰か、じゃない。

むやみやたらに敵をつくるヒーローでは、いつまでたっても平和は訪れない。


もしかしたら、鬼の仮面の下は、自己犠牲の正義かもしれない。

ただただ不安にとりつかれただけの、弱者かもしれない。


世の中の、すべてを許し受け入れるのは、人間には不可能だとさえ思う。

けれど、ひとたび止まって深呼吸して、相手の立場にたって考えるヒーローが増えたら、日本は、もっともっと美しい国になるんじゃないかなぁ。


もう、優しさは、そこまで来ている。

未来をつくろう!!!