出産記録②です。
だらだら書いてしまってなかなか進んでません(-ω-;)
主人に連絡をしてナースコールをしようとした丁度その時、看護師さんが様子を見にきて痛みが強くなった事を伝えると腰をさすってくれて痛みの様子を観察したうえで、内診をして子宮口の確認をする事に。
そうすると5~6センチ開いているようでした。
看護師さんが慌てて分娩室の準備をしてくるねと言って出て行きました。
その間も定期的に痛みがきてさっきまでの余裕はなくなってしまいましたが、今考えるとこの痛みはまだまだ始まりに過ぎませんでした。
ただ、この痛みがこれから何時間も続くんだと思うと、叫んだりする方の気持ちがわかるなと思いました。
分娩室の準備が出来たみたいでいよいよ車椅子で移動です。
このタイミングで看護師さんに主人がどれくらいで来れるか聞かれたため、もう来てもらって大丈夫かを確認して電話にて分娩室に移動する事を病院に向かってもらうように伝えました。
車椅子で移動した先は約1年前、紬を産んだ場所と同じ分娩オペ室でした。
通常の分娩室へ向かうと思っていたので、この場所なんだ…と、いろんな事を思い出し複雑な気持ちでした。
そして1年前は自分では乗ることが出来なかった分娩台に陣痛の合間にのぼります。
分娩台に横になると、モニターや心電図をつけながら赤ちゃんがおりて来て子宮口が全開になるまでいきみを我慢です。
どんどん強くなる痛みの中、助産師さんから入院していたから呼吸法とかわからないと思うけど、痛みがきたらしっかり赤ちゃんに酸素を届けるために深呼吸をしてね!
赤ちゃんも頑張ってるからね!
いきんで良くなったらその時にまたいきみかたを教えるからねと言われ痛みが来るたび必死に深呼吸をしていました。
時々子宮口の開き具合をチェックされながら先生に連絡をしている助産師さんの会話を聞いていました。
先生は内診やエコーをしているときにほぼ痛がっていなかったので、私がしっかり痛がっているかを確認しているようでした(-ω-;)
先生、めっちゃ痛いんですけどと思いながらまだまだ痛みに耐えます。
だんだん深呼吸をしても痛みを我慢できなくなってきたのを助産師さんが表情を見て察知してくれ何度目かの子宮口のチェック。
全開になっていたようでいきみの許可が出て教えてもらいながらいきみ開始。
そんな中、進みが早かったのか助産師さんは
先生早くきて欲しいんだけどと言っているのが聞こえました。
合っているのか分からないまま言われるままにいきみますがなかなか出てきてくれない赤ちゃん。
先生も到着し、助産師さんと先生とで対応をしてくれます。
もう痛いのか落ち着いているのかもプチパニックになっていたのか分からなくて、いきみ続ける私にモニターを見て判断をしているのか先生が
痛くない時はいきまなくていいよ!
赤ちゃんに酸素届けるためにしっかり深呼吸して!
と言われる始末。
いきむものの、なかなか赤ちゃんは出てきてくれずだんだん赤ちゃんが疲れてきたようで心拍が落ちてきてしまい、先生から
赤ちゃんがしんどくなってきているから吸引しましょう!
と言われました。
痛みに耐えながら先生から吸引分娩の説明を簡単にされました。
その③に続く