(冒頭、誤解が生じそうなので削除しました)

 

若い頃の山木は頑なで

まあ、未だに十分に頑なだけど

 

昔の日本の音楽シーンは

主にレコーディングを引き受けるスタジオミュージシャン

スタジオミュージシャンが叩いた曲をライブやコンサートやツアーで再現する

セッションミュージシャン

他には、モデルさんのようなミュージシャン

等などが、いて

 

その頂点は、当然後世に残る作品を刻むスタジミュージシャンである。

 

スタジオミュージシャンにはありがたいことにコアなファンの方がびっしり

脇を固めてくださっていて

私はいつもその方々も喜んでくださったらいいなと

SNSをやってないミュージシャンを時折

ツイッターにぶっこんでいるのも事実。

 

そんな、スタジオミュージシャンの四天王と言われるのが

井山大今で

井上鑑、山木秀夫、高水健司(大仏)、今剛

アキラさんはレコード大賞受賞のアレンジャーさんでもあるので

アレンジャーの四天王色濃いかもしれません。

山木秀夫、高水健司、今剛はスタジオミュージシャンの最たる人たちという

私という立場からしたら手前味噌な話だけど

この業界かれこれ30数年の人からしたら、本当のこと。

 

その彼らを率いいてるということは正直すごいことだと

ちょっと違う側面から福山さんを表現してみた。

生意気言ってごめんなさい。

 

 

もちろん福山さんご本人にも相当な歴史と栄光もお有りになって

してからして当然のことです。山木も光栄です!

で、ただ単純に年上をたくさんという事を考えると

普通考えると言うこと聞く年下でお山の大将の方がやりやすいんじゃないかなと

思うことだってあるけど

再度強調するけど、年上の先輩方とずっと付き合ってくださっているということは

本当に自分もまだまだ学びがあると思って接してくださっていること、本当に尊敬する。

人に敬意がある、尊敬があるということ

私達はとても感じている。私からしたらそれが一番すごいと思ってます。

 

 

そんな福山さんが山木の昔に触れ

地底人ラジオで公開してくださり、節々にうかがえる山木を思う気持ちに

改めて感謝しました。とても嬉しかったです。単純に嬉しくてたまらなかった。

「熊本の秀夫」「15,16,17私の人生ドルだった」という新しい言葉も本当に愛があって

面白い。

これから使わせて頂こうと思います。爆。

 

 

あの話の続きとして

まだアメリカ領だった沖縄にパスポートを持って渡り

キャンプでドラムを叩いてるうちにアメリカ人ドラマーがマネージャーとなり

まだ高校生の年頃でドラムを叩き生活をしてきた。

山木の人生って面白いなと思っていつも話を聞くんだけど

別府の杉乃井ホテルでドラムを叩いていると、

昔東京で活躍してたバリトンサックスのおじいさんがやってきて

「君は、絶対日本一になる人だ」と言ってきたらしい。

山木少年は「は?」程度にしか思わなかったらしいけど

「東京で、どんなドラマーが好きかと言われたら流行ってるドラマーをいうんだよ」と

アドバイスをもらったらしい。一言目に出てくるアドバイスとしてはなかなか珍しい。

もっといいこと教えてくれるのかと思った。w

 

 

それから鹿児島のキャバレーでドラムを叩いていたこともある

このキャバレーはとても有名なところで

下積み時代の森進一さん、錦野旦さんも歌っておられたという有名なキャバレー

以前、小室哲也さんのアレンジで森さんの楽曲を叩いたことがあって

(ってそもそも冬のリビエラは山木秀夫)

そこで「あのキャバレーで!」なんて盛り上がったそう。

 

 

ディスコやキャバレーという懐かしい言葉に皆再会したと思うけど

今でこそデータでポンと押せば音が流れる時代ですが

遡ると、ほぼ全てが生演奏というそれはそれは

ある意味進化しなくてよかったんじゃないかと思うほど贅沢な時代だったのでもあります。

 

とはいえ、なんていったらいいのか

電気関係?機械の発達?開発か

により、音楽がより身近になって自分が奏でられるいい時代にもなった

それに合わせて、新しい「自分が奏でる時代」に教えようとも思ったのも一つの理由。

 

ちなみに、そのキャバレーにライブに訪れていた外人さんに

海外で一緒にやろう!的お誘いを受けたみたいだけど連絡しない山木。

全くどうかしてる。その人はイエスのパトリックムラーツだって

数年後に知るらしいんだけど、山木呑気。付き合い下手。

 

 

鹿児島に訪れた今では山木の師匠

高水さんの師匠でもある市川秀男さんに見初められ

上京する。

 

上京して、お金がなくて先輩宅に居候、点々。

ライブハウスに勉強に行けないからライブハウスに毎日通い

排気口の下から中の音楽を聞く

お店の人が同情してくれて「君、中に入って聞いていいよ」と言ってくれた。

それが新宿ピットイン。まさか店の人も毎日来るとは思っていなかったろう。爆

 

 

ロスでドゥービー・ブラザースからスカウトされるも

その時はその気にならなかったから断った。

(山木秀夫、断った武勇伝多数。w)

 

 

近藤等則とヨーロッパツアーの時には

銃を脇腹に向けられたことさえある。

そういう時って走馬灯のように思い出巡るの?って質問したが

「それどころじゃない」って言ってた。笑

 

 

キャバレーオープン前にひたすら練習してると「うるせ〜外でやってくれ!」と

店員の強面兄ちゃんに言われるが

「店の為に練習してんのが何が悪いんだ!」と食って掛かるほどの音楽優位主義

 

 

まだまだ話は尽きない山木秀夫の破天荒な人生

 

 

そんなことを話せたのも福山さんが取り上げてくださったからで

とても嬉しいことです。

 

 

 

昨日ツイートもしたけど

レッスンを見て「そうやって音楽作り上げてるんだ」と

知って聞くと、音楽更に面白い

その部分で共感出来る自分もちょっとうれしい。

 

 

深く知るということ。

「知ったら更に面白い」を教えていただきました。

 

 

 

NHK紅白で

演者の名前をきっちりと書いてくれる

演者への敬意と意気にはとても感謝しています。

 

 

 

ツイッターで辞める生徒さんへ

「遅いなんてことはない!」と言った山木だが

山木がまだ化粧とかして、爆。ロン毛だったり、爆笑

レイジーみたいな時代=KAZUMI BAND

だった頃、ツーバスだった。

でも、ある日突然、ワンバスでどこまでやれるかと可能性を広げるために

ツーバスを封印した、そこから数十年後に

あれはアサヒビールのコマーシャルでも使われた曲「GET THE GROOVE」で

福山さんがツーバスを提案

還暦過ぎた頃だったかな、ツーバス出してきて

もちろん昔取った杵柄はありますが、プロだからね。

しかし、そこから毎日コツコツ5年先を見てツーバスの練習をした山木秀夫

還暦すぎて「5年後をイメージして毎日頑張った」という山木だから

「遅いなんてことはない!」と激しく強く言うのです。

それを提案したのが福山さんだっていうのも、すごい話ではないかと思うので

話しました。

 

 

勇気ときっかけのバトンは限りなく二人

またその二人を取り巻く皆々様へと渡され続けていっているのだと

思い、感謝しながらも、更に配ろうと思いました。

 

 

なんか色々脱線もしたし

だけど、私達は昨日ラジオで取り上げてもらっていたく盛り上がった。

盛り上がったから一緒に盛り上がってくれた人に「いいね、私達も聞いてた」を

押しまくった。w

 

 

昨日、面白かったでしょ?

そうなんですよ。「ね!」という朝である。

 

 

これからも皆々様の勇気を応援したいし

音楽話、したいから

スクールも更に頑張る。ワークショップも行う。

そして夢の実現も応援する。

 

 

ありがとうございます。

そしてよろしくお願いします。