今周期は妊活おやすみ中なので、妊活真っ只中に起きた突然の大病について記録していきたいと思います。

 

 

 

「非常階段の踊り場で倒れてる!早く来て!救急車!」

 

 

 

誰かが見つけてくれたことで、私は命を救われました。

 

 

 

何の前兆もなく、突然くも膜下出血を発症し、闘病生活は大変でしたが、今私が生きていられるのは、まわりの人たちのお陰です。

 

 

 

たくさんの人への感謝と希望を伝えていきたいと思います。

 


 

当日の出来事は、完全に記憶を失っているため、後から聞いた同僚の話と夫くんの話を元に綴ります。

 

 

  2023年1月17日 非常階段で見つかった私

 

いつもと変わらない朝を迎え、夫くんに「行ってきまーす!」と声を掛け、その日も元気よく出勤。

 

 

 

出勤した私は、いつものように仕事をし、お昼前の10時半頃に郵便をチェックしに行くと同僚に伝え、ビルの下階に向かいました。

 

 

 

1時間以上経っても戻ってこない私を心配し始めた同僚は、ビルの警備員に連絡をします。

 

 

 

すると警備員は、sakurakoを1階で見たけど、1時間も前のことと言うではありませんか。

 

 

 

みんなでsakurakoはどこへ行ってしまったんだ、大丈夫かと心配し始めたそのとき、オフィスの電話が鳴りました。

 

 

 

sakurakoが非常階段の20階の踊り場で倒れてる!早く来て!救急車!」ビルのお掃除の人からでした。

 

 

 

なぜか私は非常階段の20階で見つかったのです。

 

 

 

私は、職場では日頃から用を頼まれた際どこへ行くにも階段を使うので、それは不思議ではなかったですが、誰かに頼まれて行ったのか、どうして私がそこにいたのかは分かっていません。

 

 

 

すぐに救急車が呼ばれたものの、倒れてから既に1時間半以上経過。

 

 

 

同僚は、見ているのが辛くなるほどの状況だったと言います。

 

 

 

救急車を待つ間、警備員や同僚たちが私に必死に話かけてくれていたようですが、同僚曰く「sakurakoには私たちの声が何も聞こえていないようだった。目はグルグル回っていて左側の体全部が硬直し、呼吸も苦しそうだった」と言われました。

 

 

 

素人の目からみても「」に何か異変が起きてるのではないかと想像がついたようでした。

 

 

 

そんな状態で私を乗せた救急車は、ハワイ最大の総合病院へ向け出発。

 

 

 

その頃、オフィスでは夫くんに連絡をしなければとバタバタしていたそうですが、夫くんは携帯番号を変更していたこともあり、繋がりません。

 

 

 

すると、テレパシー?それとも私の魂が呼んだのでしょうか!!!

 

 

 

なんと夫くんが自ら職場に電話をかけてきたのです!!

 

 

 

何か妙な胸騒ぎがすると感じた夫くんが、最初に私の携帯電話にかけたようですが、電話に出ないため、職場に電話。

 

 

 

そこへ同僚が電話に出て、無事に夫くんと連絡がついたのです。

 

 

 

夫くんの6センス本当にすごいです!!!

 

 

 

私が倒れて病院に運ばれたことを告げられた夫くんは、車をかっ飛ばし猛スピードで病院へ。

 

 

 

なんと、救急車よりも早く病院に着いた夫くん。救急車3台ほど見送ったそうです。

 

 

  病院に到着しICUへ

 

ようやく3台目についた救急車に私が乗っていることを確認できたものの、夫くんは病室に入ることを許されず、ずっと病室前の椅子で待機。

 

 

 

10人ほどのたくさんのドクターに囲まれ、ICUのベッドの上で横たわる私は完全昏睡状態。

 

 

 

検査の結果、脳動脈瘤破裂により、くも膜下出血を発症していることが判明したのです。

 

 

 

くも膜下出血といえば、約半数は即死または昏睡状態に陥り、病院に運ばれて治療を受けたとしても、社会復帰は約25%の人しかできないと言われる恐ろしい病気です。

 

 

 

すぐにコルク塞栓術が試みられたものの、脳動脈瘤の位置がちょうど右目の裏の奥深くの場所で、且つ、いびつな形状であることから治すことができませんでした。

 

 

 

コルク塞栓術とは、太ももの付け根から脳までカテーテルを入れて、コルクで破裂した脳動脈瘤の出血を止める方法で、頭を切らずに行える手術であることから負担も少ないと言われています。

 

 

 

このコルク塞栓術がうまく行かなかったため、頭蓋骨を外すクリッピング術が必要となり、翌日の早朝に開頭手術がスケジュールされました。

 

 

 

夫くんは、ようやく病室に入室できたものの、私は口にチューブやあらゆる医療装置に繋がれ、まだ意識はありません。

 

 

 

面会時間終了の8時を迎え、お腹を空かせた夫くんは病院のカフェテリアで一人夕食。

 

 

 

どっと疲れが押し寄せたのでしょうか、夕食後、気を失うようにカフェテリアで眠りに落ちてしまったようです。

 

 

 

夫くんも記憶が曖昧というこの日は、彼にとっても相当タフな1日だったのでしょう。

 

 

 

そんな夫くんをさらに不安に陥れる事態がおきます。

 

 

 

翌日になり、手術ができないと告げられたのです。