死産後にかけられた嬉しい言葉やショックだった言葉についてお話してきましたが、最後にずっと見守り続けてくれた母の言葉についてお話したいと思います。
私は、母の言葉や思いに感情がとても揺さぶられました。
まだ日本人観光客が少ない中、心配してハワイに来てくれた母は、
自宅のべびちゃんコーナーに飾られたエコー写真と足形をみて、
「これは目に触れないところにしまっておいたら?」とそっと私に言いました。
母にとっては、私が毎日、目のあたりにすることで辛くなっているんではないかと心配して思わず出た言葉だと思います。
その母の言葉を聞いた夫くんも「そうしなよ」と言ってきました。
更には、「日本に持って行ってもらいなよ」と。
私は、なんでそんなこというの!!と悲しい気持ちになりました。
みんなひどい!!とても受けとめることができませんでした。
そして、「水子供養するからエコーの写真を日本にもってかえろうと思うけど」と母に言われ、
間髪入れずに、私は「絶対やだ!」と自然に声が出ていました。
私は、娘が遠くに連れていかれてしまう気がして、私のそばから離れてしまうと思って
唯一残された、妊娠21週の時のたった一度のエコー写真を手放すなんてとてもじゃないけど出来ませんでした。
「名前はつけたの?」と聞かれて、「ない」と答えました。
本当はあるのに。
自分でもなぜ「ない」と言ったのか良く分かりません。
恐らく、思いがけない母の言葉に、娘の名前を伝えたら、どこまでも遠くに連れていかれてしまう。そんな気持ちになったのかもしれません。
母に言われてから、水子供養について密かに検索をはじめました。
自分なりに簡単にまとめると
水子供養は、当初はビジネス目的で始められた
子供に霊はない
心の準備ができたらやればいい
それらの情報から、あえて日本で水子供養をする必要はないと思えてきました。
(最終的には気持ちの落ち着いた今年、日本に一時帰国した際に、水子供養をしました)
更に母に、「たまに思い出してあげるだけでいいのよ」と、優しく言われましたが、とても残酷な言葉のように感じました。
「何じゃあ忘れろというの?」
「忘れるんじゃない、時々思い出してあげればいいのよ」
私が生まれた後、母も流産を経験しています。
なので、死産した私の気持ちは痛いほどわかっていると思います。
娘も同じ境遇になり、母なりに何か思うことがあったのかもしれません。
母が日本に帰国する前日、
母の気持ちも考え、「エコーのコピーを持っていく?」と聞くと、
「エコー写真はいいわよ。残しておきなさい。コピーもいらないわよ」と思わぬ返答がかえってきました。
未だになぜ母の考えが変わったのか分かりません。
でも理由を聞きませんでした。
恐らく私のペースでいいこと、写真や足形を近くに置くことが辛い日々を思い出すわけではないことを
私と一緒に過ごしたハワイの中で感じてくれたのかもしれません。
滞在中、傷心した娘のわがままを散々聞いてくれ、母には感謝しかありません。
家族、友人、知人、様々な人からかけてもらった言葉を思い返し、思いました。
言葉は時に、鋭い矢となり心にグサグサ刺さります。
でも、こんな時に誰も傷つけたいと思って言う人はいないと思います。
みんななんていっていいか分からないだけ
経験したことがなければ人の気持ちなんて分からないことなんて多々あります。
また、人それぞれ思うことも違うかもしれません。
すべてに共通しているのは、
悪気はない
少しでも力になりたいと思っての言葉であると信じています。
なので、声を掛けてくれる人に感謝し、一喜一憂しないでいこうと思います。