私の仕事復帰は延期され、しばらく仕事を休むことになりましたが、夫くんは仕事に戻らないといけない日々が始まりました。
仕事復帰延期の理由:記事「死産後の仕事復帰のはずが・・・」
私はまだ人に会いたくないという気持ちも強く、友達に会う勇気もなく
友達に会ったところで気を遣われることがわかっていたこと
一体会ったら何を話すことになるんだろう 死産の話ばかりもしていられない
腫れ物に触るような対応を受けるのだろうか
悲しみを理解してくれるかもしれないけど、
この心の苦しみはきっと当事者じゃないとわからないだろう
友達と会っても まだいつものように笑うことができないかもしれない
そしたら友達にも心配をかけてしまうのではないか
友達に会いたいけどまだ心の準備ができていない
そんな気持ちがいったりきたりしていました。
でも、この感情は、しばらくすると誰かに会いたいと思えるまで回復していきました。
私は1人でも外に出れるようにはなっていたので、近所のアラモアナビーチパークによくお散歩にいっていました。
いつものお決まりコースは、ジャンバジュースのピーチグリーンを片手に、音楽を聴きながらビーチパークをお散歩し、海の目の前のベンチに腰を下ろし、ひたすらそこでもネット検索が始まります。
どうやったら私の気持ちが穏やかになるのか、この苦しい感情から少しでも解放することができるのか、私は時間さえあれば同じ経験者を必死で探しました。
今まで検索なんてしたことのなかったワードとともに、
「死産」「立ち直り方」「死産の原因」
するとこんなにも世の中に死産を経験している人がいること
人知れず苦しんで涙を流している自分と同じ苦しみを抱えている人がこの世の中には
たくさんいることに気付かされました。
50人に1人が経験する死産。
流産した時も同じように検索して同じような人を探しましたが、
その時は「死産」について検索することはありませんでした。
ブログやYouTube動画をノンストップで、ビーチパークの景色すら目に入らないぐらい
ずっと視線を携帯にうつし、ずーとずっと何時間も見ていました。
どうやったら心が癒えるのか、
自分の気持ちの落とし所が見つかるまでたくさんの記事や動画をみて、涙を流し共感し、
だんだんと救われていく、気持ちが浄化され、いつしか癒しや希望をもらえている自分がいました。
私は、毎日のようにアラモアナビーチパークにでかけました。
おうちに戻ってもやることは一緒で、この頃はとにかくたくさんの動画や記事を読みました。
そして徐々に自分の気持ちを吐き出したくなってきました。
今まで頭の中でぐるぐると回ってぐちゃぐちゃで自分の気持ちがよくわからなくなっていた頭から、自分の言葉で自分の気持ちを吐き出せる場所を探すようになってきました。
せめて同じ経験をした誰かとつながりたい。
ネットでみていると自分の気持ちを吐き出すためにブログを始めることも良いと書いてありました。
なるほど、それはいいかもしれないと思い、手に取りましたが、
その頃の私はまだブログを立ち上げるという気力までは湧き上がりませんでした。
書くにしても、自分の気持ちがこんな激しく揺れ動いてばかりで、何をどうやって記事にしたら良いのか、
どう吐き出したらよいのかわからず、
少し書き出してみたのですが、涙がとまらなくなってしまい
こんなにまた考え出したら、私は壊れてしまう
そう思うと当時の私にはそれ以上できませんでした。
そこで唯一できたこと
あるサイトのコミュニティーサイトで死産を経験したことを明かし、自分と同じ経験者と繋がれる場所を探すため投稿したことです。
すると、次々と数名の人たちからメッセージがくるようになりました。
そこには今まで考えたこともないような世界が広がっていました。
この小さなハワイの島でも
こんなに苦しい思いをしてきた人
今も苦しんでいる人がいることを
33週で臍帯巻絡でお腹の赤ちゃんを亡くした人や
何度も流産を繰り返している人
不妊治療でなかなか採卵できない人
ようやく胚盤胞ができ何度移植しても妊娠に至らない人
誕生してすぐに亡くなってしまった赤ちゃんがいること
新生児集中治療室NICUで必死に生きる赤ちゃんたちがいること
そして出産を終えたママが亡くなっていくという現実もあることを
それでも前を向いて歩いている人たちがたくさんいることを
知りました。
同じ境遇を辿った人たちは、みな気持ちを理解できます。
そしてみな同じ気持ちをいだいているかもしれません。
たとえ生きて生まれてこなかったとしても
赤ちゃんの存在がなかったことにだけはされたくない気持ち
生きた時間の長さに関係なくすべての命が尊く、人生を全うしたという思い
悲しみの大きさはその命の長さではないこと
どんな命でもお腹の中にいる時から愛しさを感じ、どの子もみな深い愛を受けてきたこと
亡くなった子を忘れることはない
でも前を向かなければならない葛藤があることを。
私は誰かにこの気持ちをわかってもらいたくて、想いをぶつけました。
すると、見ず知らずの人が、
「本当によく頑張りましたね。」「聞いていて涙がでました」と声をかけてくれました。
そこには私を労う気持ちと赤ちゃんの頑張りを讃えてくれる人、
そして、苦しくても大丈夫!前を向ける日がくると背中を押して勇気を与えてくれる人
私は、どれだけ救われたかわかりません。
中には、会えるようになったら会いましょう!とお茶に誘ってくれる人もいました。
初めてお会いした時から今までお友達だったかのようにおしゃべりでき、おうちに帰る頃には、エネルギーを蓄えて元気な気持ちで帰宅したのを覚えています。
こうして、死産から1ヶ月仕事を休んだ後、少し心の平穏も取り戻せたかなと思う頃、完全なる仕事復帰を果たすことができました。
その頃、夫くんは変わらず私の心を心配して、
いつも「どう?大丈夫?」と声をかけて毎日優しくキスをしてくれていました。
夫くんだって私たちの赤ちゃんを失って相当苦しんでいたのに
1人それを見せずにずっと私に寄り添ってくれていたのに
それなのに私は、夫くんにすっかり甘えすぎていたのか、ある日、大喧嘩に発展してしまいました。