2019年9月1日 パピヨン折り紙 さんぽみち    尾張名古屋は城でもつ

          

                 尾張名古屋は城でもつ

 

「尾張名古屋は城でもつ」名古屋界隈の人ならば大抵知っていることばです。名古屋といえば名古屋城、名古屋城といえば金のシャチホコです。今も名古屋城の天守には金のシャチホコが燦然と輝いています。しかし、名古屋城の金のシャチホコもさまざまな歴史の波にもまれて、名古屋城の棟の指定席に安座できなかった時もありました。

 

名古屋城は徳川家の居城であるので明治始め、各地の城が取り壊された時は取り壊されることは免れました。しかし、金のシャチホコは天守閣から降ろされ宮内省へ献納され東京へいきました。明治5年、東京湯島で開催された万国博覧会に出品され、ついで、海を渡ってウィーンの万国博へも出品されました。明治12年金のシャチホコは名古屋城へ返され天守閣の棟に戻ることができました。

 

様々な苦難を乗り越えた名古屋城ですが、昭和20年5月の名古屋空襲で焼失しました。戦災で焼け落ちたシャチホコの金を集めて金の茶釜がつくられ、この金の茶釜で点てたお茶が城内の茶室で頂ける日があるそうです。詳しくは 名古屋城の案内をごらんください。2005年の愛知万博では再び天守から下りて展示されました。現在の名古屋城は 昭和34年鉄筋コンクリート造で再建されたものですが、施設設備の老朽化などにより、木造の天守閣復元の計画が進行中といわれています。広大な名古屋城の敷地内の一部には明治21年から終戦まで、日本軍の師団が置かれ、敗戦後は名古屋大学のキャンパスになりました。其の後、愛知県体育館が建設され今も大相撲名古屋場所が開催れています。この体育館も間もなく堀の外の公園に新設されることになっています。金のシャチホコは天守から大きな目で、何を見、何をかんがえてきたことでしょうか。

 

名古屋城の西側の、堀を隔てた向かい側の、名古屋城を一望できる位置に「ナゴヤキャッスルホテル」があり、そのホテルの売店に「金のしゃちせん」というおせんべいがあります。縁あって、このせんべいの付録の折図を提供させていただくことになりました。今月の折図はシャチホコです。(2019/9/1)