ブルーベリーの実る季節です

 

                ケータイを不ケータイ 古今電話事情

 

「電話をしたけど全然出なかかった」と言われることがあります。一応、ガラケーを持ってはいますが、外出するときに持って出なかったり、充電が切れていたりして、つまり、「ケータイを不ケータイ」の場合が多く、連絡をいただく方に迷惑をかけることがしばしばです。先日古い友人から、ケータイにかけたら通じなかったので、家の電話 にかけたら、「この電話は現在つかわれていません」とアナウンスがあったので、何かあったのかとビックリしたよ、といわれました。私の年齢で「何か」といえば、病気か怪我か、もしかしたら「万一のこと」かと想像されても無理はありません。ご心配をお掛けしました。

 

持っていない人を探すのが難しい程普及したスマホはいつでも、誰とでも連絡出来る通信機器であるばかりではなく、写真や動画撮影の機能が充実して、 調べもの、注文、支払い、乗車券やチケットの購入、遊び等等、なんでも即座に処理できるスマホの便利さ、それを使いこなしている人の様子見ると、無くてはならない優れものの生活必需品でることも理解できます。災害時における スマホの活躍は素晴らしいものがあります。

 

結婚して家庭を持つようになった60年ほど前は 固定電話の入手もすぐにはできず、電々公社(NTT)へ申し込んでから半年ぐらい待たされるれるのが普通でした。いざ設置となると かなり高額の「電話加入権」を購入する必要がありました。電話のない家では、家族の危篤などの急な知らせは電報を使いました。目まぐるしく電話をめぐる制度が変わり、技術も進化して 今日の水準になりました。一昔前、入学試験のシーズンには「サクラサク」という電報を待っていた受験生がいかに多かったか、信じられないような本当の話です。

 

今、車内でも、道路でも公園でも、人間の基本姿勢はスマホをのぞいている姿と言えるほどです。 昭和生まれの超アナログ 人間は、しばし画面から目を離し「休ケー」時間にしたら!地球ってとても美しいよ!と声を掛けたくなってしまいます。 (2019/8/1)