私は、38歳で実家に住んでいます。

 

 

 

家族のことは大好きなのですが、

 

 

 

とても厄介なことがあります。

 

 

 

私は、強いこだわりがあり、

 

 

 

お腹空いて何か食べたいなぁ〜って思った時、

 

 

 

これが食べたい!っていうものがなければ、

 

 

 

 

そのまま何も食べません。

 

 

 

何か食べたいと思っても、その何かが思いつかなければ食べません。

 

 

 

私の母は、とても優しい人でいつも私のことを考えてくれるのですが、

 

 

 

私は、それを正直、とても厄介に感じています。

 

 

 

ありがた迷惑という感じです。

 

 

 

例えば、お昼の時間帯に家に私がいる時、

 

 

 

母は普通にお昼ご飯を用意するのですが、

 

 

 

私の分も当たり前のように作ってくれます。

 

 

 

ただ、これが私にとっては必要ないことなのです。

 

 

 

はっきり言ってしまうと、迷惑なのです。

 

 

 

全くありがたくないのです。

 

 

 

だって、その時私の魂が食べたい!!って思ったものでなければ、

 

 

 

正直、"食べたくない"のです。

 

 

 

彼女は、私が家にいるから食べるだろうからと思って作ってくれているのだと思うのですが、

 

 

 

 

私にとってはそれがいらないのです。

 

 

 

 

以前、私は、何度も、

 

 

 

私が家にいてもいなくても、

 

 

 

私の分のご飯は作らなくていいと言ってあります。

 

 

 

 

でも、たぶんまだ理解していないんだと思います。。。。

 

 

 

 

 

私は、今まで、親の言うことをとてもよく聞いて育ってきました。

 

 

 

 

でも、もう親の言うことは聞きたくないのです。

 

 

 

親の用意したご飯を食べることでさえも。。。。

 

 

 

 

 

 

これも、毎回毎回思うわけではありません。

 

 

 

親の用意したご飯を食べる時もあります。

 

 

 

美味しいって食べる時ももちろんあります。

 

 

 

 

 

ただ、その食べたくないなって思う時は決まって、

 

 

 

母親の機嫌が悪いと感じる時で、

 

 

 

同じ空間にいたいと思わないからです。

 

 

 

 

だって、機嫌の悪い人と同じ空間に居たいと思う人って、

 

 

 

いないですよね?

 

 

 

 

 

なかなか、この状況を言葉で説明して、理解してもらうのはちょっと難しいかもしれないのですが、

 

 

 

 

母の都合で機嫌が悪いのに、

 

 

 

それに私は巻き込まれたくないのです。

 

 

 

 

 

 

 

でも、この状況でさえも、

 

 

 

巻き込まれずにいられることもできます。

 

 

 

 

 

それは、私自身がどんな時も自分軸でいられて、自分の本来在るべき姿が整っている状態であれば、

 

 

 

それは叶います。

 

 

 

 

 

意味、伝わりますかね?

 

 

 

 

自分さえ整っていれば、

 

 

 

周りがどんな状況でも、

 

 

 

全く巻き込まれずにすむわけです。

 

 

 

 

 

母親の機嫌が悪い理由に私は関係ありません。

 

 

 

だって、自分の機嫌を取れるのは、他人ではなく、自分自身しかいないからです。

 

 

 

 

 

私は、自分の機嫌は、きちんと自分で取ります。

 

 

 

他人のせいにはしません。

 

 

 

 

何かが起こって『機嫌が悪くなる』ということは、

 

 

 

つまり、『他人に期待している』、と同等だと思うから。

 

 

 

 

私は、そういう人とは関わりたくない。

 

 

 

 

母は、本当はそんな人ではないはずなんですが、

 

 

 

 

いろいろな経験、体験から、そういうふうになるのですよね〜。

 

 

 

母に限らず、全人類そうだと思います。私も含め。

 

 

 

いろんな経験、体験があって、今の自分を作り上げている。

 

 

 

 

今日、母が私と父と自分の分のそうめんを茹でてくれたんですが、

 

 

 

私は、食パンとコーヒーが食べたかったので、

 

 

 

そうめんは食べませんでした。

 

 

 

 

私は、自分の本当の感情を大事にしたかったのです。

 

 

 

私は、今この瞬間、トーストした食パンが食べたかったのです。

 

 

 

 

母をいじめたかったわけではないです。

 

 

 

私は、それが食べたかったから、そうしたのです。

 

 

 

 

 

たったこれだけのことと思うかもしれませんが、

 

 

 

こんな小さな"〜したい"を見逃さず、

 

 

 

自分の心の声に一つ一つ従って、一日一日を大切に過ごしていきたい。

 

 

 

意味が伝わらなかったら、すみません。。。笑

 

 

 

以上です✨