『郷土料理が花咲く江戸時代』講演

 

 



 

画像>チラシ 左情報は前日UP

 

先ずは映写で北海道、大阪、沖縄の郷土料理群を見せた。江戸当時北の大地、大阪堂島を中

 

心とした米相場、そして(琉球)沖縄、そこには共通する食材が使われているが、それは何?

 

と今日の講師「溝口泰氏」は問いかけた。答えは昆布だが、なぜ寒い北海道の名産昆布が

 

温かい大阪や沖縄の方で多く食されたのは何故か?と聞く。答えは富山の船主が始めた北

 

前船が鹿児島まで様々な荷を運んだ中に昆布もあったと言うことだった。沖縄は鹿児島藩

 

の傘下にあったので、中国との密貿易にいいように活用される地点だった。日本のこうした

 

郷土食材は参勤交代によって沢山出回った。交通標語の「狭い日本 そんなに急いで どこ

 

へ行く」ではないが狭い江戸 お陰様で 広まったである。江戸時代の人口は100万人で、

 

世界一、当然食料流通も多く、陸路より船運(河川)が中心だった。だから幕府は豪雨でよ

 

く氾濫する坂東太郎(利根川の意)の流れを60年かけて変えたし、支流も増やして

 

水害防止に努めた。この時代から庶民の為料理本(本朝食鑑)も発売されベストセラーにな

 

った。そこで扱われた鰹節の作り方は今尚300年経っても、ほぼ同じ作り方で伝わってい

 

る。又江戸の庶民は朝外食だった。東南アジア人は皆そうだが、狭い住まいで暮らしている

 

ので、炊事場が作れない。又火を扱うのでくっついた住宅では大火事の心配があった。

 

大江戸に住む男女シェアが65%男と言う実情もあった。職人の多い江戸八百町というこ

 

とか。だから食事文化、屋台の登場がこの時代から始まる。蕎麦屋にテンプラ、鰻に寿司

 

またこの時代から調味料の進歩が見られ、食べ物がよりおいしく食べられるようになった。

 

塩、醤油,味噌、酢の登場である。

 

屋台寿司の大きさはおにぎりほどの大きさがあったし、てんぷらや焼き鳥屋台では

 

皿がいらないように串で提供されたのもこの時代からである。ホント歩きながら食するっ

 

て、食品が尚一層美味しくなる。観光地で食べるジャンクフードが旨いのはこの為だろうな。

 

又鰻が食べられるようになったのも「ばけばけ」放映で平賀源内がベストコピーを言ったま

 

でもなく、元々ウツボや鱧(はも)のような長い生き物は活力源あるとみなされた魚類だっ

 

た。関東では鰻の蒲焼は人気を呼ぶ。関西では鱧が食される。深川では泥鰌が人気を呼んだ。

 

レジメが多いわりに駆け足で進んだ一時間講義もあっと言う間に時間が来てチャイム。

 

外へ出ればもう陽は西に傾きかけていた。早く車のライトをつけないで済むよう、

 

大急ぎでマイホームへ向かった。途中スタンドに寄ったら左ストップランプがついてない

 

と指摘された。パトカーに後方つけられて注意される前にランプの予備はあるので

 

自分でつけて置くとお礼を言って、注意深く東へ車を走らせた。

 

 



 

画像>徳川幕府260年