豊臣兄弟と天正11年豪雪・講演

 

伊勢崎図書館で県女大・梁瀬大輔氏の歴史講座を聞きに行った。タイトルは豊臣兄弟と

 

あるが、これは客寄せパンダであって、ある古文書を取り上げ、戦国時代の豪雪時

 

大名や兵士がどのような同行を示していたか、記している内容だった。戦闘と言う限りは

 

皆無と思われがちだが、大雨や大風の時、相手部隊は油断しているのでこの時こそと

 

本体を移動させる作戦に出る大名は少なくない。柴田勝家賤ケ岳の戦いもその様子が

 

兵士に雪割をさせながら敵陣を目指した。最終的には前田利家の離反等により

 

越前に離反したと古文書に残っている。豊臣一族は勝家を滅ぼした後でも、雪国大名

 

上杉家との戦いがあった。上杉家は新潟から関東へ越山することはいえ17回、そのうち

 

4回は雪中行軍であった。(八甲田山死の彷徨みたいなもの)1000人の程の除雪部隊を作り

 

関東へ南下した。そのたびごとに豊臣側と戦火にまみれた,乃至はにらみ合いも会ったろう。

 

食料物資にも限界があったろう。当時食料物資は行先で物資補給調達が常識だった。一般人

 

はとんでもない被害を被った訳である。戦争というものはこうして一般人をも巻き込むも

 

のである。昔の兵士は畑を耕していて、お呼びがかかり雪かきに出動、戦闘にも加わった

 

3刀流の多忙な身だった。

 

画像>パンフ 



 

画像>古文書  





こういう掘り出し物古文書は80万円くらいはするそうだ。配われた

 

テキストは12枚で古文書史料・現代語付きが9つ。最後に大雪の記録がある年の

 

一覧として11世紀から17世紀まで全国各地でのリストが掲載されていて、とりわけ

 

天正時代に豪雪が多かったわけでは無く、それがどこに地域でどれだけ積雪したか

 

豪雪の定義も曖昧なままの参考文献である。だが天正時代一つに国を隔てた国境は

 

殆どが大きな山や険しい峠がたちはだかっており、それが防衛にも成り立っていた訳でも

 

あった。