『第3回連取ふるさと学習講座 6人』

 




画像>パンフ

 

上記6人の連取での歴史的業績を語った。連取はつなとりと読み、昔は綱取と書いて

 

来場所綱取りになるウクライナ力士安青錦にもつながる字体である。―――それはさてお

 

き本題に掛かるとまずは俳諧で有名な「今村岨雲」から始まった。その今村岨雲より有名な

 

父親の山県大弐についての話が長く、山県は江戸時代?人民に慕われる人であったが

 

反体制的であったのか処刑された。子の今村岨雲は藩医となり、曲輪町にある建物は

 

嘗て今村病院であった。今は明治館として保存されている。次に森村新蔵。

 

旅好きで14歳、父親とお伊勢参りを始めてから「金毘羅さん」「富士山」「善光寺」「松前」

 

旅日記が多い。「北国見聞記」は文章だけでなく、イラストも描かれている貴重なガイドブ

 

ックである。

 

 



 

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画像>アイヌの着物のスケッチ

 



 

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森村堯太を語る時は分かりやすく、紙芝居調で話してくれた。堯太は連取の渋沢栄一と呼ば

 

れるくらい、金融に力を注いだ。生糸が盛んな土地柄に銀行が必須なことを早く知った。

 

敬虔なキリスト教徒であったため共愛社を設立(のちの共愛学園)、廃娼運動にも奔走、

 

それは全国で最初の遊郭なし地帯となった。どうでもいいことだけどそんな訳か私が育っ

 

た昭和の子供の頃、トルコ風呂がない県が群馬と長野だったことを記憶している。

 

 

 

画像>堯太氏は何処にいるか?主催者も分からない。皆で決を採って前列左から3番目だ

 

ろうと言うことになった。一番上の写真、左手の写真のことです。あなたはどれだと思う?袴には手を入れて置くのがエチケット

 

だそうだ。ポケットに手を入れてこういう写真撮ったら非難されるよな。

 

話は森村酉蔵夫婦の所まできた。こちらは有名な夫婦で高崎にある観音様の模型を作った

 

ことが知られている。その100分の一39㎝ミニを時の井上工業の従業員だった田中角栄が

 

自転車でアトリエに持ち込んだエピソードもある。観音様の大きさは約42m、重さ6000ト

 

ン、人類の平和と個人の健康を祈っている。顔が奥さんの田中寿々に似ている気がすると

 

嘗てマイブログで書いたことがある。江戸川乱歩等との親睦があり、乱歩先生が亡くなった

 

後、酉蔵制作の「なまず」彫像が出てきた。酉蔵の作品は多く作られたわりに少ないのは

 

戦時金属供出令で鉄砲玉に変えられたためと言われている。最後は森村茂樹である。一時間

 

で6人を語るのは大変だったと思うが、うまくまとめられていた。茂樹は連取のスイカ作

 

りに奔走し、群馬と言えばコンニャク、焼きまんじゅう、スイカと言う程生産量が多かった。

 

令和ではかろうじて赤堀スイカが名を残しているが、嘗ては伊勢崎スイカが有名であった。

 

スイカジュイス(まだジュースとは言ってなかった)を販売し、農民でありながらシルクハ

 

ットをかぶったダンディなおじさんだったと孫が語っている。今日は連取で育った偉大な

 

人たちの話が聞けて大変面白かった。次回もまた来よう!

 


偉人の子孫の方々達が沢山来られていた。