『ジョン・レノン暗殺犯 45年目の真実』を読んで
青木富貴子著の本書を雑誌「ニュースウィーク」が紹介している。1980年12月8日
ビートルズのメンバージョン・レノンがファンと名乗るマーク・チャップマンと言う男に
4発の銃弾を受け、亡くなった悲しみを「何故❓」レノンは殺されねばならなかったのか
作者は犯人との手紙のやり取りや面会に寄って追求しているドキュメンタリーである。
まず最初、犯人のチャップマンはレノンの絶大なファンであって、自らもレノンと名乗って
いた。ハワイ日系二世の妻を持ち、職場や住所を何度も変える人物ではあったが、犯罪歴が
あるわけでもなく、ちょっと変な青年ではあった。それがなぜレノンの殺害に結び付く
のか?45年もかけて作者は35年の空白がありながら、それなりの完結を持って終わら
せた。チャップマンは精神に多少の問題はあれども、攻撃的な人間ではない。でも環境なり
人間関係で左右されそうな人格ではありそうだ。キリスト教に拘り、そのタイミングで
ジョン・レノンが放った「我々はキリストより人気がある」爆弾発言を聞いて、二人のジョ
ンレノンはいらないとレノンの住む、ダコタハウスまで出向く。一度サインを貰い、二度目
のサインを貰ってから凶行に及んだ。全然人を殺したと言う後悔、罪悪感がないまま今日ま
でニューヨーク刑務所に服役している。御年70歳になる。作家の青木氏によれば面会はし
ていないが、写真から見れば大分見かけが温厚になったと記している。殺害頃はもっと荒々
しかったらしい。犯行後収監され、数年後取材申し込みの手紙を出すと受け入れてくれた。
チャップマンの奥さんが日系二世と言うこともあって、親しみがあったようである。だがそ
のうち写真を送ってくれとチャップマンが書いてきた。それを契機に青木氏は恐怖?感じ
て取材を打ち切った。34年程の歳月が経ったところ、青木さんの亡くなった夫の文書整理
をしていたら、ジャーナリストでもあるピート・ハミルトン(幸せの黄色いハンカチの原作
者)がレノンと親睦があることが分かった。それで長年手を引いていたチャップマンの取材
がやりかけであることを思い出した。早速チャップマンの奥さんに連絡を取り、再び面会が
再会し、中途半端で途切れていたチャップマンの殺害動機と言うことに、一つの区切りを打
てて出版の運びになった。
画像>この写真は夫のカメラマンである弟が撮ったものである。
チャップマンは高校生時代いじめられっ子で異常なほど敬虔なクリスチャンだった。(同級
生の証言)そこに敬愛するレノンのあの言葉である(キリストより人気)ジョークが分から
ない。レノンって何様だって思い始めた。その頃おかしなジョークが流行っていた。
「イマジン もしもジョンが死んだなら・・・・・・」ちょっとピンと外れた少年には
聞かせたくないブラックジョークである。ことは現実となった。
チャップマンはハワイに住んでいた頃、裕福な日系二世と結婚したが、本土にいる両親は
離婚した。この頃から神経がおかしくなって、二度の自殺未遂をしたと言う。当然もう
教会で祈りをすることも無くなっている。ついに1980年12月、ニューヨークへ
旅立つのである。青木氏は犯罪はチャップマンの鬱が発散したものであると推理している。
たまんねぇ~!そんなことで人を殺す。著名なミュージシャンを抹殺してしまった。
ジョンの歌声で助けられた人々も沢山いたろうに・・・・。1980年私は30代になって
いたが、銃社会のアメリカにハワイも含めて恐れを抱いた。その前年ハワイへ旅行している
ので、ホノルル空港でその頃働いていたと言うチャップマンに遭遇していたかもしれない。
その頃慢性妄想型統合失調症、自己愛性パーソナリテイ障害だったチャップマンに合わな
くてよかった。
動画>イマジン
画像>一斉を風靡したビートルズ
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