古代中国の大侠客・郭解を読んで

 

別段古代中国の豪傑等に興味があった訳ではないのだが、図書館で他に読むものが

 

見当たらなかったので、新刊コーナーで「古代中国の裏社会 伝説の任侠と路地裏の物語」

 

柿沼陽平著:を借りて来た。中国では水滸伝・三国志等豪傑伝はあるし、郭解のような

 

悪人・侠客でありながら、時の民に慕われた豪傑もいた。それはまるでスケールは

 

違うものの上州国定のやくざ者国定忠治のような者でもあった。郭解は体は小さく

 

顔は不細工ながらも、時の権力者でさえも一目置いた侠客であった。因みに忠治の方は

 

豪農のお坊ちゃまであったので色男であったと言う。前漢・武帝が国を治めていた時代

 

その武帝に宮刑(断種)を見舞ってさえ、生き延びて親子二代「史記」書き残した

 

司馬遷が壮大な書物に意外に侠客郭解のことを称賛していた。

 

『私は郭解を見たことがある。その風貌は人並み以下だった。喋っていた内容も

 

取り立てて掲載するほどのものではない。然し天下の人々は賢人か否か問わず、

 

そして郭解と知り合いか否かを問わず、皆その名声を慕っている。侠者についていうとき

 

には、皆が郭解の名前を引き合いに出してくる。諺にも人の外見とその高い名声とは

 

常に一致しているとは限らない」と書いている。————郭解は少年時代から強盗・殺人・

 

贋金作り・墓荒らし

 

をするグループの長でもあった。ここも無宿人となった忠治に似ている。自然と子分が慕い赤城山に集まった。

 

手下は郭解の人柄と業績に魅かれ,漢全土から集まった。犯罪を犯し逃亡してくる

 

輩の手助けもした。一連のしのぎ(稼ぎ)で私腹を肥やすことなく、弱者に振舞った。

 

質素な暮らし、粗末な家で満足していた。

 

総額では時の県令(知事)より収入は多かったと言う。時の県令にも暗殺の仕事を

 

請け負ったこともある。口が堅いので信用された。男気は東映やくざ映画のヒーロー

 

高倉健・鶴田浩二に匹敵するものだった。そんな郭解がなぜ逮捕され、処刑されてしまった

 

のか。時は儒教真っ只中、その儒者の殺しに一枚噛んでしまった。時の捕吏は儒教心酔者で

 

親玉の郭解が許せなかった。権力者武帝に取り込んで極刑を望んだ。郭解ファミリーは

 

全員死刑にされた。それが前漢時代の掟だった。

 

 



 

 

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