陳建民 四川料理を日本に広めた男 を読んで
倅の陳健一は一昔前料理の鉄人と言う番組、和・洋・中華の料理人が
料理の腕を競う番組に出ていたのを憶えている。然し二昔前健一の父親
陳建民がNHKきょうの料理で人気を博していたとは知らなかった。
陳建民はこの番組で辛すぎる四川料理「麻婆豆腐」を日本人風にアレンジして
評判を呼んだ。他にも汁なし担々麺をスープ付きに又エビチリを日本人好みにして
東京に店を構えるほどに出世した。それには三番目の奥さんが日本人であったことが
幸している。洋子さんと言う人が実にスケールの大きい、懐の広い人物であったことが
幸運を呼んだ。陳建民は四川の生まれだが貧しさが故に、ケシの実(アヘン)の
商売をしたり、包丁一本持って上海・台湾・香港、そして日本に流れ着いた
華僑であった。華僑は包丁か鋏か(洋服仕立て)カミソリか(床屋)
三刃のどれかを持っていればどこでも食っていける民族であった。
日本にもチャイナタウンは幾つかあるし、世界どこの国へ行っても
チャイナタウンはある。生命力の強さを感じる中華思想である。
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そんな陳建民の料理技は政治家にも評価され、中国副主席鄧小平が来日した時
全料理を任された。鄧小平が四川出身であったことも幸いして陳建民の人気に
拍車が掛かった。その時のメニューはざっとこんなものである。
鳳にかたどった冷菜~ジャガイモで作った鳥の巣に炒めた鮑を入れたもの
~松茸をオイスターオイルで炒めたもの~フカヒレの姿煮~
アヒルの燻製~鶏の肝のスープ~伊勢エビのチリソース煮~
生シイタケを白クラゲで飾った卵白料理~蒸気鍋スープ~
ミカンと白玉団子のシロップ煮~ワンタン~四川風水餃子。
食通の鄧小平は至極御満悦だったと言う。この日を境に中国は世界に開放的になり
日中国交で建民は離れ離れになっていた一番目の奥さんや子供、二番目の
奥さんや子供との再会を為せた。香港の時の子供など日本に留学した位である。
日本人妻洋子はそんな建民の心配をよそに自分の家から通学させた。
一生建民が洋子さんに頭が上がらなかったのはこういう経緯が幾つもあったせいである。
画像>早速マーボードーフ(丸美屋)試食➡四川に住む麻(痘痕の多い)
多い婆さんが考案したことから麻婆豆腐と長年伝わっていた料理。
動画>今日の料理 テーマソング 冨田勲➡あのシンセサイザーの作曲家である、吃驚!


